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油井 正一(ゆい しょういち、1918年8月15日 - 1998年6月8日)は、日本のジャズ評論家。1950年代から晩年まで、日本のジャズ評論の第一人者と評される活躍をした。 == 経歴 == 横浜市生まれ。1924年、神戸市へ移り、同地で育つ。兵庫県立第三神戸中学校を経て、慶應義塾大学法学部に学び1941年に卒業した。ジャズへの関心は学生時代からのもので、当時から既にレコードの収集、ジャズ評論の執筆を始めていた〔。戦時中は兵役に就き、前橋陸軍予備士官学校から東部22部隊へ配属され、将校として高射砲部隊にいた〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。戦後は評論活動を再開し、神戸で朝比奈次郎と名乗り、1952年に開局したラジオ神戸(現・ラジオ関西)で「ジャズ・アメリカーナ」という番組を担当し、選曲にもあたった〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕〔初出は2008年1月28日付け神戸新聞朝刊の記事〕 1955年に神戸から上京し、評論家としての本格的な活動に入った〔。 雑誌等への執筆の他、ラジオ番組にも数多く出演し、親しみやすい語り口で「講談調」とも評された。1957年から1975年まで、NHKラジオ第2放送の『リズム・アワー』に定期的に出演してスウィング・ジャズを担当した〔。また、1973年から1979年にかけてFM東京などで放送された『アスペクト・イン・ジャズ』は名番組と評された〔この番組の音源はFM東京には残っていなかったが、2006年に再放送の企画のためにネット上での呼びかけが行なわれたところ、当時エア・チェックされていた多数の録音が集った。 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。 さらに大学の教壇にも立ち、東京藝術大学〔〔ロックウェル・レコードのプロフィール では最初に授業を担当したのは1970年とあるが、1973年とする記述もある。〕、桐朋学園大学、東海大学などでジャズに関する講義を担当した。試験の答案には、ほとんどに90点以上の点をつけたとも伝えられている〔。 1996年には勲四等瑞宝章を受ける。1998年6月8日没、。 所蔵レコードの一部(およそ8,500枚)は、生前の1995年に北海道新冠町のレ・コード館に寄贈された〔。また、没後の2003年には、レコードの他、書籍、原稿、音声資料など、遺品のジャズ関連資料1万点あまりが慶應義塾大学アート・センターに寄贈され、2011年から「油井正一アーカイヴ」として公開されている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「油井正一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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