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朝比奈 正二郎(あさひな しょうじろう、1913年6月10日 - 2010年11月28日)は、日本の昆虫学者。トンボやムカシトンボ、ゴキブリなどの分類、生態の研究で知られ、日本蜻蛉学会の設立にも中心的に関わった。国際トンボ学会会長、日本昆虫学会会長、日本衛生動物学会会長、日本動物分類学会会長を歴任〔。 == 略歴 == 1913年、東京都文京区千駄木に生まれる。父は薬学者であり、また地衣類の分類学者でもあった朝比奈泰彦〔〔Tsukané Yamasaki 2011, In Memoriam: Syoziro Asahina (1913–2010). Species Diversity, 16, 81–83〕。父から昆虫採集の手ほどきを受けて、6歳頃からチョウなどの採集を始め、父の知り合いであった昆虫学者の三宅恒方にも接している〔。 東京府立六中(現:新宿高校)、成城高校を経て、1935年に東京帝国大学理学部動物学科(現:東京大学理学部)に進学〔。1938年に卒業し、同年大学院に進学〔。しかし戦況の変化により、1939年10月より陸軍文官として満州に渡り、軍の活動の傍ら、週末になると昆虫採集を行なっていた〔。1940年に東京に一時帰還し、同年結婚〔。その後すぐに満州に戻り、1945年まで当地で過ごした〔。 1945年にソ連が満州に侵略すると、朝比奈は大連に移り、終戦後にはそこから、家族の疎開先であった静岡県三島市に戻った〔。そこを研究拠点として、ムカシトンボの形態的研究を進め、その結果をまとめた論文がのちの学位論文となった〔。 1950年に国立予防衛生研究所に入所し、1952年には同所の部長となった〔。1953年にはロンドンへ留学し、ロンドン自然史博物館を訪れて、日本の昆虫の分類学的研究などを進めた〔。同年4月 北海道大学 理学博士 「ムカシトンボの形態学的研究 」。 1956年ごろから日本蜻蛉学会の立ち上げに中心的に関わり、1958年から同会会誌の「TOMBO Acta ontologica」の発行も手がけた〔。 1979年に国立予防衛生研究所を退官、客員研究員となった〔。その後もゴキブリやトンボ類の分類学的研究などを進めた。 2010年に東京都で死去(享年97)〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝比奈正二郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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