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朝熊 利英(あさくま としひで、1892年(明治25年)11月12日 - 1987年(昭和62年)7月11日)は、日本の海軍軍人。魚雷設計の天才〔『連合艦隊の栄光』第六章〕といわれ、酸素魚雷、特殊潜航艇の開発に貢献した海軍技術中将である。海軍技術有功章を受章。 ==人物・来歴== === 略歴 === 兵庫県出身。東京帝大工学部造兵科を卒業。在学中に海軍造兵学生となり、卒業後造兵中技師(中尉相当)任官。造兵士官は兵器の設計開発にあたる海軍士官相当官で、後に技術士官と改称された。朝熊は造兵大尉時代まで呉海軍工廠に属し、魚雷部員、砲熕部員を務めている。1923年(大正12年)12月より一年半に渡り造兵監督官として英国に出張した。1925年(大正14年)12月造兵少佐、1930年(昭和5年)12月造兵中佐に進級。この間艦政本部員を務め、東大工学部の講師を兼任している。酸素魚雷の開発に成功したのはこの中佐時代であり、功績により旭日中綬章を授けられた〔「海軍少将岸本鹿子治外二名叙勲並勲章加授ノ件 」〕。のちに特殊潜航艇の開発設計主任として貢献〔「海軍造兵少将朝熊利英外十一名」〕。造兵少将・呉工廠水雷部長として日米開戦を迎え、川棚工廠長に転じ艦政本部出仕兼呉鎮守府出仕を兼任。1945年(昭和20年)5月1日技術中将へ昇進。同年10月30日予備役編入となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝熊利英」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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