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朝相洋 : ミニ英和和英辞書
朝相洋[あさ, ちょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning
: [そう]
 【名詞】 1. aspect 2. phase 3. countenance

朝相洋 ( リダイレクト:朝乃翔嚆矢 ) : ウィキペディア日本語版
朝乃翔嚆矢[あさのしょう はじめ]
朝乃翔 嚆矢(あさのしょう はじめ、1969年12月23日 - )は、神奈川県小田原市出身(出生地は横浜市)で若松部屋所属の元大相撲力士。本名は小塚 一(こづか はじめ、旧姓は大澤)、身長186cm、体重147kg。得意手は突っ張り、押し。最高位は西前頭2枚目(1997年3月場所、1999年9月場所)、血液型O型。
==来歴==
小田原市立鴨宮中学校時代はバレーボール部に所属していたが、相洋高等学校に進学してからは相撲部に入部した。近畿大学に進むと、後に朝乃若となる足立武彦らとともに活躍した。1992年3月場所に幕下60枚目格付出しで初土俵を踏んだ。順調に番付を上げて行き1993年3月場所に新十両。同時に四股名を出身高校にちなんだ朝相洋(あさそうよう)と改めた。その場所は勝ち越したが翌場所は怪我で途中休場し幕下に陥落。四股名を本名の大澤に戻してからは勝ち越しを続け、1994年5月場所に十両に復帰し四股名を朝乃翔と改めた。
再十両の場所から負け越すことなく1995年3月場所に新入幕を果たした。1997年3月場所に自己最高位の西前頭2枚目に躍進し、横綱・から初金星を挙げたが惜しくも7勝8敗と負け越し。1999年9月場所も西前頭2枚目と三役昇進がかかる場所であったが7勝8敗で負け越し。幕内でも安定した成績を残していたが2000年5月場所に右腕を故障し翌7月場所に十両に陥落。幕内を復帰を目指し万全な稽古をして名古屋に乗り込んだが初日前日に椎間板ヘルニアを患い7月場所を全休。
2000年9月場所は西幕下5枚目まで陥落したが振るわず2勝5敗と負け越し。さらに翌11月場所は椎間板ヘルニアが再発し全休。翌場所も全休し2001年3月場所には東三段目37枚目まで陥落した。このまま引退するのではないかとの噂もあったが土俵に上がり6勝1敗と最後まで優勝を争った。その後勝ち越しを続け東幕下26枚目まで番付を盛り返したが、網膜剥離を患い2002年1月場所前に現役を引退し準年寄・朝乃翔を襲名した。その後、年寄若松佐ノ山関ノ戸押尾川を経て、若藤親方で高砂部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たっていたが、2008年1月24日栃乃花栃栄が現役を引退し、それぞれ年寄名跡を襲名したことにより、押し出される形で日本相撲協会を退職した。
その後、2011年に発刊された「相撲」10月号で、二子山部屋の元幕下・大二子が社長、若泉が取締役を務める大阪の老舗物流会社「間口」で同社の相撲部監督を勤める傍ら、「総合営業職」として第二の人生を歩んでいる事が紹介されている。他に、同社には先述の二人にとっては部屋の後輩に当たる元幕下・若風、貴乃洸、朝乃翔にとっては部屋の後輩に当たる元幕下・朝陽丸も社員として登用されている。
コンタクトレンズを着用して本場所の土俵に上がった最初の力士でもある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「朝乃翔嚆矢」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Asanosho Hajime 」があります。




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