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朝響信親 : ミニ英和和英辞書
朝響信親[あさひびき のぶちか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning
: [ひびき]
  1. (io) (n) echo 2. sound 3. reverberation 4. noise 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

朝響信親 : ウィキペディア日本語版
朝響信親[あさひびき のぶちか]
朝響 信親(あさひびき のぶちか、1897年1月3日 - 1960年2月22日)は、愛媛県西宇和郡三瓶町(現西予市)出身で1920年代に活躍した大相撲力士。本名は宮本 延近。身長173cm、体重90kg。最高位は東前頭2枚目(1927年5月場所)。引退後は年寄佐ノ山として後進の指導につとめた。
== 来歴 ==
同郷の大関朝汐佐ノ山部屋に入門し、1914年1月場所に初土俵を踏んだ。稽古熱心で順調に昇進し、1918年5月に、朝見藤と名乗って十両に昇進、1922年1月には朝見富士と改めて新入幕を果たした。その間、師匠が亡くなったので本家の高砂部屋に移籍した。また、入幕後に朝響と改名している。
幕内では地味な取り口で、横綱大関を破る殊勲もなかったが、それでも1929年まで20場所連続して幕内を保った。1929年5月、十両に落ちたところで連続全休して9月場所限りで引退、年寄佐ノ山を襲名した。
引退後は長く高砂部屋で後進を指導していたが、1955年3月、独立して佐ノ山部屋を再興した。しかし、関取をだせないまま1960年2月に死去した。しかし、遺された弟子の中から、のちの幕内栗家山恵三が出た。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「朝響信親」の詳細全文を読む




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