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音羽 正彦(おとわ ただひこ、1914年(大正3年)1月5日 - 1944年(昭和19年)2月6日戦死認定〔昭和19年2月28日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1348号。〕)は、朝香宮家出身の侯爵、海軍軍人。栄典は勲一等。皇族時代は朝香宮正彦王という。 ==経歴== 朝香宮鳩彦王の第2皇子。1936年(昭和11年)4月1日、願により臣籍降下し音羽侯爵家を創設する。 学習院中等科卒、海軍兵学校(第62期)卒、海軍砲術学校修了。 赤城、山城、陸奥各分隊長等を歴任する。第6根拠地隊参謀の海軍大尉として、マーシャル諸島のクェゼリン島玉砕で戦死する(クェゼリンの戦い)。高松宮宣仁親王は『高松宮日記』に「はじめ大鳥島に勤務していた侯爵を、危険だからというのでクェゼリン島に転属させたところ、米軍が予想に反して同島に上陸してきた」と記している(昭和十九年二月四日条〔浅見雅男 『皇族誕生』 角川文庫 ISBN 978-4043944897、201p〕)。この戦死により海軍少佐に進級する。朝香宮家では、勲一等を持っていた侯爵に大勲位菊花章をさずけてくれ(『高松宮日記』二月二十六日条)、爵位を公爵にあげてくれ(三月四日条)などと宮内省に要求したがいずれも実現しなかった〔。 1940年(昭和15年)11月14日、第1次近衛内閣で拓務大臣を務めた大谷尊由の次女・益子と結婚。2人の間に子どもはなく、音羽侯爵家は廃絶となる(益子はその後、小坂財閥の小坂善太郎と再婚)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「音羽正彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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