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朝鮮の大陸史観(ちょうせんのたいりくしかん)は、朝鮮民族の歴代国家またはその主要活動領域を、朝鮮半島だけでなく満洲、または渤海湾付近と山東半島、中国本土の東海岸まで拡張する歴史観である。 このような観点が目立ち始めたのは1980年代に入ってからで〔, (「大陸の韓」1~2巻を出したイ・ムニョル(著者との対話)、《ソウル新聞》、1995.7.25.)〕、「百済の中国東海岸進出説」や、「朝鮮の歴史の一部としての渤海史」が強調された。 1990年代を経て主張が多様になり、高句麗・百済・新羅が争う三国時代の中心地域は朝鮮半島ではなく中国本土だったという主張が登場した〔 (チョン・ヨンソク、《高句麗・百済・新羅は韓半島になかった》、トンシン出版社、1994)〕。一部ではこれを拡張して高麗や李氏朝鮮が朝鮮半島ではなく中国本土にあったとも主張した。 主に、歴史学者ではない在野の歴史研究家により提唱されており、韓国の新聞・テレビ・ネットメディアなどではしばしば好意的に取り上げられるものの、南・北朝鮮の歴史学界ではこのような主張を認めていない。 == 概要 == 大陸史観が提起され始めた当時は、大韓民国で南北統一を志向する民族主義や民主化運動が燃え上がった時期であった。軍事政権下の政界・財界・軍人・学界に対する反発、彼らのバックボーンにあるとみられた親日派への反発と、在野史観・民族主義史観・大陸史観の隆盛とは軌を一にしている。 大陸史観を主張する人々は、大陸史観は半島史観に対応する概念であり、日本統治時代に朝鮮史の領域を半島に閉じ込めた「半島史観」が戦後もなお韓国の歴史学に反映されているので、日帝残滓である半島史観を克服しなければならないと主張する〔 ((イ・ドギル舎廊) 大陸史観と半島史観、《朝鮮日報》、2007.2.25.)〕。 これらは既存の古代史研究と違う枠組を主張する。例えば、既存学界は歴史書の遼東を現代の遼東と同じ場所だと認識している。しかし大陸史観論者たちは、文献の独特の解釈を根拠に、該当地域が今よりもっと西方に位置しており、したがって高句麗の実際の領域ももっと西方に広かったという風に主張する。このような主張は歴史学界(在野の研究家は「講壇歴史学者」と呼ぶ)と対立関係にある様々な個人研究者たちによって信奉されており、これを擁護するインターネット上の歴史同好会も存在する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝鮮の大陸史観」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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