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朝鮮キネマ株式会社(ちょうせんキネマ-、1924年7月11日 設立 - 1927年 倒産)は、かつて存在した日本統治時代の朝鮮(現在の大韓民国)の映画会社である。 == 略歴・概要 == 1924年(大正13年)7月11日、当時日本が統治していた朝鮮・釜山府本町5丁目19番地(現在の釜山広域市中区東光洞5街)に設立される〔朝鮮キネマ株式会社、釜山でお昼を、2010年7月1日閲覧。〕。同府内・西町二丁目12(現在の中区新昌洞2街12 )に存在した日蓮宗妙覚寺の別院・日蓮宗妙覚寺〔日蓮宗妙覚寺 、釜山でお昼を、2010年7月1日閲覧。〕の婿養子に入った高佐貫長(のちの高佐日煌)が中心となり〔〔高佐日煌の教学 、澁澤光紀、日蓮宗現代宗教研究所、2010年7月1日閲覧。〕、釜山の財界の協力を得、釜山銃砲火薬店の名出音一を代表とし、阿久津正明を支配人とした〔。近辺の伏兵山に撮影所を建設、日蓮宗を伝道することを目的とした映画を製作、移動上映を中心に配給・興行した〔。 取締役に就任した高佐は、撮影所を統括し、「王必烈」のペンネームで脚本を書き、映画を監督した〔。高佐の映画製作に関する素養は、横浜の大正活映でトーマス・栗原に薫陶を受けたものとされる〔。同年、設立第1作として『海の秘曲』を日活と提携製作、同年11月24日に東京・浅草公園六区の三友館等で劇場公開された〔海の秘曲 、日本映画データベース、2010年7月1日閲覧。〕。 1926年(昭和元年)に製作した『アリラン』は同年10月1日に公開され〔、本土の上映は、当時メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)の輸入代理店であったヤマニ洋行が行うべく、同年12月22日に検閲を受けた記録がある〔アリラン 、日本映画データベース、2010年7月1日閲覧。〕。 1927年(昭和2年)、倒産する。高佐は釜山・妙覚寺を去って本土に戻り、『日宗新報』の主筆となるが同志は同年廃刊となっている〔。 Internet Movie Databaseの Chosun Kinema の項に掲載されている1935年(昭和35年)以降の作品〔Chosun Kinema, Internet Movie Database , 2010年7月1日閲覧。〕との関係は#Chosun Kinemaの節に詳述する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝鮮キネマ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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