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朝鮮義勇隊(ちょうせんぎゆうたい)は、朝鮮抗日義勇軍あるいは国際旅団と呼ばれ、金元鳳の主導で、1938年10月10日漢口で結成された独立軍である。朝鮮民族前衛同盟の傘下団体に分類される。 ==創設== 1938年8月、日本の反戦運動家である青山和夫が「国際義勇軍第1隊組織計画案」を提出。計画案は政治部長・陳誠から蒋介石に上申されて「大体実行可能である」と認定され、9月には政治部秘書長・が、青山の計画案に基づいて行われた朝鮮義勇軍の組織に関する調査結果とその実施手順を陳誠に上申して同意を得た〔。青山の原定計画に基づき、国際問題研究所長・王芃生の第2次の意見を参酌して組織化に着手した〔。 軍事委員会政治部の管轄となり、朝鮮義勇隊発足前は政治部第2庁(庁長・)に指導が委ねられていたが、のちに政治部第1庁に任されることになった。結成時は武漢防衛戦の最中であったため、しばらくは武漢衛戍司令部の指揮を受け、また政治部第3庁の間接指揮を受けることになった。 1937年12月、の青年党員84名が星子県の中央陸軍軍官学校特別訓練班第6期(星子分校)に入学。中国人学生と共に予備教育課程を学んでいたが、南京が陥落した影響で1938年1月に湖北省江陵へ移動し、1938年3月に第1大隊独立中隊を編成〔。予備教育課程時の教官は中国人将校であったが、中隊編成時に金枓奉、、金弘壹、が教官として配属された〔。また第1区隊は隊長・李益星、副隊長・王守義(崔明)、4人の見習い士官が配属された〔。学生達は軍事学の他に、拡声器や文書などを利用した対日宣伝、捕虜尋問、文書解読などの専門知識の教育を受けた〔。1938年5月24日、卒業。卒業生は金弘壹の引率下で武昌に移動した。 中国国民党政府に後援され、第1区隊と第2区隊とに分かれて活動していた。金元鳳、崔昌益、金星淑、柳子明などが委員会政治部員として参加した。朝鮮義勇隊は、本部は総隊長・金元鳳を含む13名、第1区隊は隊長・朴孝三、副隊長・金世日、政治指導員・王通を含む43名、第2区隊は隊長・李益星、副隊長・陣元仲、政治指導員・金学武を含む33名の、合計89名で成り立っていた。 最高機関は指導委員会に李春岩、金星淑、崔昌益、柳子明、そして政治部員に2人が編成された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝鮮義勇隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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