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木の実ナナ : ミニ英和和英辞書
木の実ナナ[きのみ なな]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
木の実 : [きのみ, このみ]
 【名詞】 1. nut 2. fruit 3. berry
: [み, じつ]
 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result 

木の実ナナ : ウィキペディア日本語版
木の実ナナ[きのみ なな]

木の実 ナナ(きのみ ナナ、1946年7月11日 - )は、日本女優歌手である。本名、池田 鞠子(いけだ まりこ)。
東京都向島区寺島町(現在の墨田区向島)出身〔。所属事務所はダンカンミュージック
== 来歴 ==
父はトランペット奏者、母は踊り子。父が19歳、母が20歳の時に生まれた。体が弱く、3歳まで歩けなかった。その後、身体を鍛えるために5歳からバレエを始めると直ぐにのめり込み、ダンサーに憧れを持つ。
中学3年の時に渡辺プロ主催の新人オーディションがジャズ喫茶「新宿ACB」で開催され、受験する友人は緊張の余り固まってしまい、困った司会者より「じゃあ! 君が代わりに唄って!」と指名され、堂々とした唄いっぷりもあって優勝。猛反対する父親を説き伏せ芸能界入りした。この頃に初期ザ・ドリフターズの専属歌手として歌っていたこともあるという。
デビュー曲は「東京キカンボ娘」(1962年8月10日菊村紀彦作詞・作曲)。「木の実ナナ」の芸名は、この時に菊村によってつけられた。漢字、ひらがな、カタカナの三つがそろった名前は、菊村が「歌だけでなく、踊りも芝居もできる人になってほしい」という思いを込めたものだという。「着の身着のまま」が芸名の由来という説は、自身が否定している。

1962年、音楽番組『ホイホイ・ミュージック・スクール』(日本テレビ)でデビュー。当時、この番組のイメージにより「ホイホイ娘」と呼ばれていた。1967年には「ミニ・ミニ・ロック」という曲をヒットさせて人気を集めたが、番組終了と同時に低迷、前座歌手をする日々が続く。また、ヒット曲に恵まれず、心機一転として1970年には本場のショー・ビジネスを学ぼうと渡米。
1973年、帰国後に劇団四季ミュージカルに自ら応募し、同年『アプローズ』に出演。これがヒット作となり、自身も高い評価を受けて舞台女優としての地位を確立した。この時、主演を務めた越路吹雪とは共演を機にプライベートでも親しく付き合うようになり、多大な影響を受けたと言う。以後、多数のミュージカルに出演する様になった。
1974年から始まった、細川俊之との歌と踊りとしゃれた会話でつづる二人芝居『ショーガール』は16作品、公演数547回、観客動員数は60万人を超す大ヒットとなる。1975年、芸術選奨新人賞受賞。1976年、紀伊國屋演劇賞受賞。
1975年、小沢昭一主宰の劇団「芸能座」の旗揚げ公演「清水次郎長伝・伝」に参加(次郎長の妻・お蝶役)。小沢、加藤武山口崇山谷初男猪俣光世、音楽担当の神津善行薗田憲一とデキシーキングス、座付き作者の永六輔らと共に旅興行に出る(飯塚・嘉穂劇場など)〔昭和の肖像<芸>p.148-154〕。
1977年頃、西田敏行武田鉄矢と共に、バラエティー番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』に出演し、コントを披露。また、1982年の五木ひろしとのデュエット『居酒屋』は大ヒットを記録。
2015年、舞台『南阿佐ヶ谷の母』の沖縄公演終了後の10月24日に左大腿骨を骨折。11月3日からの紀伊國屋ホールの公演では、演出を変更して車いすで出演。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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