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木下利玄 : ミニ英和和英辞書
木下利玄[きのした りげん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [り]
 【名詞】 1. advantage 2. benefit 3. profit 4. interest 

木下利玄 : ウィキペディア日本語版
木下利玄[きのした りげん]

木下 利玄(きのした りげん、1886年(明治19年)1月1日 - 1925年(大正14年)2月15日)は日本歌人子爵。本名は利玄(としはる)。
== 略年譜 ==

* 1886年(明治19年)岡山県賀陽郡足守村(現・岡山市北区足守)にて足守藩最後の藩主木下利恭の弟・利永の二男として生まれる。
* 1891年(明治24年)5歳の時、利恭の死去により宗家・木下子爵家の養嗣子となり家督を継ぐため上京。
* 1892年(明治25年)学習院初等科に入学。武者小路実篤と同級になる。
* 1906年(明治39年)東京帝国大学文科に入学。東大在学中は佐佐木信綱に師事し短歌を学び、竹柏会門下の逸材と呼ばれる。
* 1910年(明治43年)には実篤や志賀直哉らと共に文芸雑誌「白樺」を創刊し、散文や短歌を発表。白樺派の代表的歌人の一人となる。
* 1911年(明治44年)横尾照子結婚。東京帝国大学国文科を卒業。卒論は近松門左衛門
* 1912年(大正元年)目白中学の国文講師に就任。同年長男が誕生するがすぐに死去。その後2男1女をもうけるが、末子(三男・利福)以外は夭逝している。
* 1916年(大正5年)目白中学を退職し、歌に専念する。
* 1922年(大正11年)肺結核にかかり病床の身となる
* 1923年(大正12年)反アララギ派の大合同誌「日光」に加わる。
* 1925年(大正14年)病がいよいよ重篤になり、2月15日死去。享年40。
 * 墓所は木下家菩提寺である足守・大光寺。分骨が東京都台東区・谷中墓地に埋葬されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「木下利玄」の詳細全文を読む




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