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木下 勝俊(きのした かつとし)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名(備中足守藩第2代藩主)、歌人。官位は従四位下、式部大夫、左近衛権少将。字は大蔵。 歌人としては長嘯(ちょうしょう)、長嘯子(ちょうしょうし)、また挙白(きょはく)と名乗る。一時期はキリシタンでもあって、洗礼名は「ペテロ」と伝わる。歌人としての作風は、近世初期における歌壇に新境地を開いたものとされ、その和歌は俳諧師・松尾芭蕉にも少なからぬ影響を与えている。 == 一族 == 父は木下家定。母は杉原家次の娘か〔推定される年齢から鑑みて情報そのものの信憑性は著しく薄いとされるが、弟の利房が後に領主となる足守藩の古文書には、利房と同様に勝俊は若狭武田氏の当主・武田元明の子と伝わる、と記されている。一方、父・家定については正室・雲照院以外にも妻がいた可能性はなきにしもあらずだが、それとおぼしき人物についての記録は2011年末時点ではまだ発見されていない。〕。弟に木下利房、木下延俊、小早川秀秋。叔母(父の妹)に北政所。妻は森可成の娘うめ(宝泉院)。娘は徳川家康の五男信吉の妻、山崎家治の妻。阿野公業の妻(阿野実藤の母)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木下勝俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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