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木下 富雄(きのした とみお、1951年5月7日 - )は、埼玉県北葛飾郡杉戸町出身の元プロ野球選手(内野手)。ウェルストンプロモーションに所属している。 ==来歴== 春日部高校から駒澤大学へ進学。東都大学リーグでは在学中2度優勝。1973年の明治神宮野球大会では、決勝で同志社大を降し優勝を飾る。リーグ通算58試合出場、162打数37安打、打率.228、3本塁打、20打点。ベストナイン1回受賞。大学同期に栗橋茂がいる。1973年のドラフト会議で広島東洋カープに1位指名され入団。 強肩の大型内野手として期待され、1年目から一軍に定着するが、打撃面で伸び悩み数年の低迷を余儀なくされる。しかし徐々に力をつけ、長打力は無いがしぶとい打撃と俊足で内野陣に食い込む。1978年には規定打席以下ながら打率.283の好成績をあげ、翌年には25盗塁を記録。投手・捕手以外ならどこでも守れる器用さを古葉竹識監督に買われ、二塁、三塁、遊撃を中心に守備固めや代走、時にはスタメン出場するなど、いぶし銀のユーティリティプレイヤーとして広島の黄金時代を支える。5度のリーグ優勝、2度の日本一に貢献。1980年の日本シリーズでは優秀選手に選ばれた。 遊撃・大下剛史、三村敏之、高橋慶彦らと二遊間コンビを組み、打順は繋ぎ役の二番や七番を主に打った。安打は多くなかったが、柔らかいバットコントロールでバント・ヒットエンドランを確実に決めた。何とかボールに当てようと、バットを放り投げることもしばしばあった。また、師匠・大下譲りの隠し球の名手としても知られたが、実際に成功したのは2回だけとの事である(山本功児談、東京スポーツ、2007年8月20日)。 限りで現役引退し、引退後は~広島一軍守備走塁コーチ、~中国放送野球解説者(とはスポーツニッポン野球評論家を兼務)、一軍チーフコーチ(ヘッド格)、山本浩二監督の就任に伴い、~二軍監督、からまで再び中国放送の解説者を務めた。 2007年6月に長内孝に続き、広島市中区に長男が店長を務める『野球鳥 きのした』という焼き鳥屋をオープン。その後、「野球鳥」の名称を同じく元プロ野球選手で現在同業の岡村浩二が商標登録していたため、『カープ鳥 きのした』に改名した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木下富雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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