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木下延由 : ミニ英和和英辞書
木下延由[きのした のぶよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [よし]
 【名詞】 1. reason 2. significance 3. cause 

木下延由 : ウィキペディア日本語版
木下延由[きのした のぶよし]
木下 延由(きのした のぶよし、慶長19年11月9日1614年11月29日) - 万治元年7月6日1658年7月25日))は、江戸時代交代寄合日出藩初代藩主木下延俊の四男。八蔵、縫殿助。幕府には延次と届けられている。異母兄に日出藩2代藩主木下俊治。室は大久保忠常養女(里見忠義の娘)。継室は小浜嘉隆の娘。子に木下延知江坂延明
寛永19年(1642年)5月9日、父の遺領のうち速見郡立石5,000石を分知された(実際に許可されたのは寛文4年(1664年))。また、この分封より兄弟仲は悪くなり、藩士も含め一切交流をしなかった。徳川家光に拝謁し旗本交代寄合となる。正保3年(1646年)に初めて領地に入る。万治元年(1658年)、参勤交代の途中、45歳で急逝した。法名、江岸殿月渕良照居士。泉岳寺に葬られる。家は没後子の延知が継いだ。
== 延由における謎 ==

*実は豊臣国松だったとの説がある。
 *寛政重修諸家譜によると実際の年齢と異なって4歳年上に記載されている。万治元年(1658年)7月6日、49歳で没するとある。また、延由なのになぜ延次とされたか。
 *父の延俊は、1万石を分封すると家臣の長澤市之亟に遺言したが、彼の機転により5,000石とされた。これは1万石の分封では本藩が立ち行かなくなることを案じてである。ここで3万石のうち、1万石を分知するということは常識では考えられず、豊臣国松だとすれば考えられる。
 *分知が秘密裏に行われ、実際に許可されたのは寛文4年(1664年)だった。

位牌には明石全登、内記と同じ家紋が記されてある。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「木下延由」の詳細全文を読む




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