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木下 忠司(きのした ちゅうじ、1916年4月9日 - )は、日本の作曲家。兄・木下惠介の作品の音楽を数多く手掛けている。 ==来歴== 静岡県浜松市生まれ。映画監督木下恵介の弟で、妹は脚本家の楠田芳子。 静岡県立浜松第一中学校(現:浜松北高等学校)を卒業後、1934年に上京、諸井三郎に音楽理論を学び、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)で声楽を学ぶ。1940年卒業、新交響楽団(現NHK交響楽団)の機関誌『フィルハーモニー』の編集に携わるが、応召し、敗戦まで内地および支那で軍隊勤務。 戦後復員、兄の紹介で松竹映画の音楽部員となり、同監督『わが恋せし乙女』(1946年封切)の音楽を担当、1949年の同監督『破れ太鼓』には自ら俳優として出演、作曲家を志す若者の役で、ピアノを弾きながら自ら作った主題歌を歌った。1951年同監督で日本で国産カラーフイルムを使って最初に作られた総天然色映画「カルメン故郷に帰る」で,同名の主題歌の作詞,挿入歌「そばの花咲く」の作詞・作曲を担当する。 1954年『女の園』と『この広い空のどこかに』(小林正樹監督)の音楽で毎日映画コンクール音楽賞受賞。1957年の恵介監督『喜びも悲しみも幾歳月』の主題歌は映画とともにヒット曲となった。1969年から放送されている『水戸黄門』の主題歌「ああ人生に涙あり」も広く知られている。 1974年にはテレビアニメ『カリメロ』の主題歌も作曲した。 マーチ風の曲で名高いが、ゆったりした歌曲も多い。作品集のアルバムに藍川由美『喜びも悲しみも幾歳月-木下忠司作品集』(カメラータ)、『木下忠司の世界』(プライエイド)などがある。後者に「chuji」とあるように、「ちゅうじ」が正しく、「ただし」は誤読。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木下忠司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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