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木下 晃(きのした あきら、1939年8月15日 - 2010年10月7日〔木下晃氏死去 日本将棋連盟棋士七段 - 47NEWS(よんななニュース) 〕)は、将棋棋士。村上真一八段門下。棋士番号は88。大阪府大阪市浪速区出身。 == 棋歴 == 奨励会6級の時代が長く、「奨励会の主」という不名誉なニックネームがつく〔「将棋世界」2000年1月号付録〕。 1963年度後期奨励会A組(旧制度の三段リーグ)で関西優勝。東西決戦で山口英夫を破り、四段昇段(プロ入り)。それから間もなく、第8回(1964年度)古豪新鋭戦で準優勝(決勝で米長邦雄四段に敗れる)。 第36期C級2組順位戦で累積2つ目の降級点を喫し、順位戦からの陥落の危機を迎えるが、翌年度、第37期(1978年度)C級2組順位戦で9勝1敗(2位)の成績を収め、C級1組へ昇級。順位戦史上、降級点2点からの昇級は、木下が初めてのケースである〔後に窪田義行が2例目となる。〕。 第31回(1981年度)NHK杯戦で大内延介八段、森雞二八段、大山康晴王将らを破りベスト4進出の活躍(準決勝で加藤一二三十段に敗れる)。 1982年度、全棋士参加の大型棋戦としてスタートした「全日本プロ将棋トーナメント」の第1回で、弟子の南芳一五段(5年後に二冠王となる)らに勝ち5回戦に進出(5回戦で桐山清澄八段に敗れる)。 1999年度、フリークラス在籍で満60歳の誕生日を迎え、2000年の春に現役を引退。通算400勝まであと2勝であった。 その直後に七段に昇段。第13期竜王戦6組昇級者決定戦2回戦(対増田裕司)のみ七段棋士として対局した。 2010年10月7日、大腸がんのため大阪市内の病院で死去。71歳没〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木下晃」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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