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木下犀潭 : ミニ英和和英辞書
木下犀潭[きのした さいたん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [さい]
 (n) rhinoceros

木下犀潭 : ウィキペディア日本語版
木下犀潭[きのした さいたん]
木下 犀潭(きのした さいたん、文化2年8月5日1805年8月28日) - 慶応3年5月6日1867年6月8日))は、日本の武士儒学者熊本藩士。を業広(なりひろ)、通称宇太郎(うたろう)、後に真太郎(しんたろう)、は子勤(しきん)、は犀潭(さいたん)、韡村(いそん)。
==経歴==
肥後国菊池郡の農家に生まれる。幼少より聡明で、22歳の時に苗字帯刀を許され、木下姓を名乗る。藩校時習館で学んだ後、天保6年(1835年)に中小姓、藩主伴読となる。同年江戸昌平黌、また佐藤塾にて佐藤一斎に学ぶ。同じ熊本生まれで農民出身である松崎慊堂にも教えを受ける。ここで塩谷宕陰安井息軒と知り合い、終生の親交を結ぶ。
帰国後、時習館助教に就任すると共に木下塾も開いた。犀潭宅を訪れた河井継之助は犀潭を非常に気に入り「100日や半年も一緒にいて学んでみたいと思った」と述べている。後に幕府より昌平黌教官への話があったが、未だ藩公の恩に報いていないとして、これを辞した。
儒学者としては、朱子学陽明学何れにも偏しなかった。また、に詳しく、熊本藩刑法方の役人は、難しい事案については犀潭に問い合わせた上で結論を出したという。
門下には横井小楠甲申政変時の朝鮮弁理公使であり、後に漢学者として活躍した竹添進一郎、漢学者の元田永孚、教育者の木村弦雄衆議院議員、群馬県知事、三重県知事を歴任した古荘嘉門大日本帝国憲法起草者の1人である井上毅など。また、四男の木下広次京都帝国大学初代総長を務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「木下犀潭」の詳細全文を読む




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