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木下頼継 : ミニ英和和英辞書
木下頼継[きのした よりつぐ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)

木下頼継 : ウィキペディア日本語版
木下頼継[きのした よりつぐ]

木下 頼継(きのした よりつぐ)は、安土桃山時代の武将大谷吉継の次男としているが、甥であるとも養子であるともいわれている〔(『廃絶録』(『日本史料集成』)より)〕〔奥村徹也「大谷刑部の家族・一族」(花ヶ前盛明編『大谷刑部のすべて』新人物往来社、2000年)63頁〕。官位は山城守。兄に大谷吉治、弟に大谷泰重
== 生涯 ==
父や兄と共に豊臣秀吉の家臣として仕え、越前国内に2万5,000石の所領を与えられ、山城守の受領を受けている〔奥村徹也「大谷刑部の家族・一族」(花ヶ前盛明編『大谷刑部のすべて』新人物往来社、2000年)63頁〕。秀吉の寵愛を受けて、木下姓を名乗ることも許されたという。異説によると木下姓は木下吉隆の名跡を継いだことにより名乗ったともいう。について、「継」の字は実父・吉継から、「頼」は秀吉の子である豊臣秀頼から偏諱を授与されたものと考えられる〔豊臣秀頼は元服したのが大変早く、生誕してわずか3年後の慶長元年(1596年)に行っている。この年は天正14年(1586年)に誕生したとされる頼継が(年齢的に)10代に入っており、元服するには相応しい時期であるため、亡くなる1600年までに元服したと考えても矛盾はない。親族(祖父とされる吉房、父・吉継、兄・吉治、養父・吉隆)も秀吉から偏諱を賜っているため、頼継も秀頼から一字拝領を受けたものと考えられる。〕。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、父や兄と共に西軍に与して父より1,000余の兵を預けられ、初陣を果たす。北陸で前田利長軍と戦い、関ヶ原本戦では戸田勝成の支援を受けて戦ったが、吉継が自害する直前、戦場から落ちるよう指示を受け、逃走して越前国へ潜伏する。しかし同年のうちに病死した。享年15。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「木下頼継」の詳細全文を読む




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