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木多 康昭(きた やすあき、1969年6月19日〔『週刊少年ジャンプ 1995年 Summer Special』494ページ〕 - )は千葉県出身〔の漫画家。血液型はO型。 鶴田謙二の影響を受けた線が細く写実的な絵柄と、過激な下ネタや毒舌を中心とした奇想天外なギャグ、時として対象への悪意がこもる大胆なパロディ、著名人への悪辣な罵言、作者の身近な人物の暴露ネタなどが特徴。小栗かずまた、島袋光年、つの丸、ガモウひろしなどと交流があり、作中にも何度か登場する。 == 略歴 == === 幕張連載まで === 大学受験に3度失敗し、3浪目の頃から漫画家を志すようになる。約3年の間、アルバイトなどで生計を立てながら編集部への持ち込みや漫画賞への応募を重ね、1995年3月、「夜明け前」が第121回ホップ☆ステップ賞にて佳作を受賞。同年8月、集英社『週刊少年ジャンプ増刊』において「仮面の告白」でデビュー。同年12月、「海に生くる人々」にて第43回赤塚賞佳作を受賞し、『週刊少年ジャンプ』での連載が決まる。 1996年2月、『週刊少年ジャンプ』で『幕張』を連載開始。当初は下ネタとパロディを中心としたギャグ漫画であったがやがて暴走し始め、同誌編集者、他の漫画家、そして自分自身を投影したキャラクターを汚れ役として多数出演させるようになる。当時の担当編集者であった瓶子吉久をはじめ各ジャンプ編集者のプライベートを虚実ない交ぜて暴露したり、ヒロミのトレース画を用い、実名入りで「(芸が)寒い」と断言(後にクレームを受け、コミックス化の際には完全削除された)、同誌連載作品をちゃかすパロディを繰り返した揚げ句、1997年11月、作中で「やってられっか!!」とぶちまけ、巻末コメントに「俺は自由だ!!」との捨て台詞を残して終了する。本人は後年「あのとき辞めていなければ、『幕張』の代わりに(ブレイク前の)『遊☆戯☆王』が終わっていた」と語る。なお、担当編集者が同じ瓶子だった『遊☆戯☆王』には、瓶子経由で自分のアイデアをいくつか提供し、実際に採用され作中に使われたこともある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木多康昭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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