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木寺 浩一(きでら こういち、1972年4月4日 - )は、埼玉県日高市出身の元プロサッカー選手。ポジションはGK。 ==来歴== 武南高校時代は1年生の時からレギュラーの座を掴み全国高校サッカー選手権において準優勝と3位という経歴を持つ。また高校3年次には日本ユース代表に選出され、1990年のAFCユース選手権に出場した。高校卒業後、NKK、京都パープルサンガ〔京都時代は、美濃部直彦、田中真二、足立修らとプレー。〕(ジャパンフットボールリーグ)とクラブを渡り歩いた。 京都を解雇された1996年1月から9か月間はサッカーとは無縁の生活を過す。その間怪我で左肩じん帯を断裂、手術の際に医師に「リハビリすれば、サッカー選手として十分やっていける」と告げられたことで意欲を目覚めさせ、1996年11月にルミノッソ狭山入り〔狭山時代は自動車のエアコンなどを組み立てる仕事に従事した後、サッカーに取り組んでいた。〕。 1998年には浜野征哉の負傷による緊急補強という形でジャパンフットボールリーグ所属のアルビレックス新潟に移籍。翌1999年にJ2昇格し吉原慎也と、翌2001年以降は野澤洋輔とスタメンを争う。2004年2ndシーズン、野澤の負傷離脱により出番が回りJ1デビュー、そのシーズンにおける4連勝の原動力となった〔特に24節、鹿島アントラーズの猛攻から新潟ゴールを守りきった試合は語り草である。 〕。2005年は野澤の出場停止をきっかけにスタメンを奪ったが、同年11月30日に若手育成のため、戦力外通告を受ける。 2006年からはサンフレッチェ広島に移籍し、下田崇のバックアッパーを務める。2008年には下田の怪我による出遅れがあったため、レギュラーとして定着、同年3月のXEROX SUPER CUP優勝に貢献するも、同年6月21日J2第21節対水戸ホーリーホック戦で肩を脱臼し戦線離脱、その穴を埋めた佐藤昭大の台頭により同年末に戦力外となった。 2009年、地域リーグのツエーゲン金沢に移籍、正GKとして活躍した。終盤の全国各地の地域リーグ強豪との対戦は、PK戦にもつれ込むことも多く、安定感ある守備で日本フットボールリーグ昇格に貢献した。チームの昇格を見届け、2010年1月8日をもって退団。一見派手なスーパーセーブこそ少ないが、的確な判断とミスの少ない安定したプレーが特徴の堅実な選手であった。また、素早く正確なスローによるフィードも特徴のひとつであった。 2010年はアルビレックス新潟サッカースクールのコーチとして指導にたずさわった。2013年現在、北陸大学サッカー部GKコーチを務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木寺浩一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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