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木工寮(もくりょう)は律令制において宮内省に属する機関。和名はコダクミノツカサ(古多久美乃豆加佐)。 主に造営、および材木採集を掌り各職工を支配する役所である。 == 職掌 == 古代のヤマト王権(大和朝廷)の造営事業は猪名部などの特定氏族が関わってきたと考えられているが、仏教伝来とともに寺院建築などの高度な技術が必要になると古くからの部民制では対応できなくなり、百済や中国大陸からの渡来系建築技術者が登用されるなどの変化が見られ流動的な要素を見せた。木工寮は天皇のために必要な建築土木や木器製作だけではなく、こうした事業に必要となる(伴部である工部の出身母体となる)木工の監督機関としての性格を有していたとみられている〔十川、2013年〕。 木工寮は宮廷の建築・土木・修理を一手にひきうけた。具体的には宮殿の建築・修理、京内の公共施設の修理、木器などの木製品の製作などである。また、こうした事業に必要な労働力と資財の調達、予算の立案〔唐の律令制度では造営に必要な予算の立案は度支が担当していたが、日本で度支に相当する主計寮は木工寮が立案した予算案を受け取った太政官の指示を受けて案の審議を行うに留まった(十川、2013年、P141-147)。〕なども木工寮の業務であった。 そのため非常に多忙であり多くの工員・力役者が付属した。それでも業務が繁雑で滞りをみせたため、弘仁9年(818年)には宮殿関係の業務を新設の修理職へ、同時期に京内の土木工事を新設の修理坊城使にそれぞれ移譲した。その後もたびたび業務の改廃を繰り返した。 なお、新たに京を造営する際は、京の造成を造京司が、宮殿の造営を造宮職(造宮省)が、寺院の建築は各造寺司と、令外官司がそれぞれ管轄しており、諸官庁の庁舎などは木工寮の指揮で建設された。このうち造宮省・造東大寺司は奈良時代を通じておかれていた。他の現業官司とちがい、工事の主任である伴部の工部は世襲ではなく能力に応じて登用され、また主に飛騨国から徴発される匠丁(飛騨工)が付属していた。大同3年(808年)に鍛冶司を併合し付属していた鍛冶戸を木工寮へ移管したが消滅した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木工寮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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