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木村一基 : ミニ英和和英辞書
木村一基[きむら かずき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [いち]
  1. (num) one 
: [き, もとい]
 【名詞】 1. basis 

木村一基 : ウィキペディア日本語版
木村一基[きむら かずき]

木村 一基(きむら かずき、1973年6月23日 - )は、将棋棋士佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は222。千葉県四街道市出身。竜王戦1組通算8期、順位戦A級通算4期。
== 棋歴 ==
幼稚園生のころ、近所に住む友人から将棋の動かし方を教わる。
小学校のころ、将棋教室の席主に佐瀬勇次八段(当時)を紹介され、そのまま入門した。〔
木村一基七段に聞く - NIKKEI 将棋王国(日本経済新聞)2005年6月8日 〕〔リレーエッセーその39 妻の願い - 将棋パイナップル 〕。
小学6年の1985年の春、第10回小学生将棋名人戦でベスト8。この大会では野月浩貴が優勝、行方尚史が3位であった〔。
同年12月、6級で奨励会に入会。二段(1988年10月)までは順調に昇級・昇段する。しかし、そこから三段昇段までに約2年、さらには三段リーグを抜けるのに6年半かかり、プロ入り(四段昇段)したのは1997年4月1日、23歳のときという遅咲きであった。
1994年佐瀬勇次名誉九段が亡くなり、弟子だった沼春雄五段(当時)の門下生となる。
プロになってからの勝率は非常に高く、棋士仲間の間で「勝率君(しょうりつくん)」と呼ばれていたことがある〔NHKテレビで解説役の内藤國雄が証言。〕。プロ入り後の勝率が高いのは、持ち時間の違い(奨励会の対局は有段者の場合、1時間半)も一因ではないかと本人は語っている〔。通算500局以上対局している棋士の中で通算勝率が7割を超えているのが羽生善治と木村の2名だけという状態が長く続いた。
1998年度、初参加の竜王ランキング戦で初戦を落とすものの、昇級者決定戦(敗者復活)で6連勝して5組へ昇級。さらには、2期目の参加となる第57期C級2組順位戦でも最終局を残しての9連勝のち1敗でC級1組への昇級を決め、この年度の将棋大賞の新人賞を受賞。
1999年度は、将棋大賞の勝率1位賞を受賞(0.797)。
2001年度、竜王挑戦者決定三番勝負で羽生と対戦。羽生を土俵際まで追い詰めたものの、敗退〔第14期竜王戦 決勝トーナメント・七番勝負(日本将棋連盟) 〕。このとき、兄弟子の米長邦雄は、自身のネット掲示板で実況中継を行っていたが、局後、「この将棋は木村君の会心譜となるはずでした。」とコメントしている。同年度は、将棋大賞の勝率1位賞(0.8356 = 当時歴代3位)、最多勝利賞(61勝 = 歴代4位タイ)、最多対局賞を受賞。年度60勝を達成した棋士は、木村、羽生、森内俊之の3名しかいない〔2008年度終了現在。ただし、羽生は4回達成。〕。特に、勝率8割と60勝以上を同時達成した例は、木村と羽生しかいない(羽生は1988年度に0.800、64勝)。
2002年度、新人王戦において、決勝三番勝負で鈴木大介を破って優勝〔第33期新人王戦(日本将棋連盟) 〕。
2003年4月1日、竜王戦の昇段規定により七段昇段。これは、竜王戦の規定による昇段の条件(の一つ)が「竜王ランキング戦2回連続優勝」から「竜王ランキング戦2回連続昇級」へ緩和される前に達成された、難易度の高い昇段であった(同じ条件で昇段したのは、行方尚史のみ)。なお、昇級を決めた2002年秋に昇段しなかったのは、これも、昇段規定が旧規定であったためである(2001年12月27日に六段昇段してから1年以上経った年度始めに昇段)。さらには第16期(2003年度)竜王ランキング戦2組でも優勝。3年連続優勝・昇級で一気に1組入りをする。
2005年、竜王戦の挑戦者決定三番勝負において2-0で三浦弘行を破り、ついにタイトル初挑戦。挑戦を決めた対局の後、盤の前に一人残り、涙を流した〔涙を流した様子は、囲碁・将棋ジャーナルで紹介された。〕。しかし、七番勝負は渡辺明竜王に0-4で敗れる〔第18期竜王戦 決勝トーナメント・七番勝負(日本将棋連盟) 〕。
2006年度、第65期順位戦B級1組において1位(9勝3敗)の成績を挙げ、2007年4月、A級八段となる。
同じく2007年、竜王ランキング戦1組で優勝。さらに挑戦者決定三番勝負に進出するも、佐藤康光に1-2で敗れる〔第20期竜王戦 決勝トーナメント・七番勝負(日本将棋連盟) 〕。
2008年、自身4度目の竜王挑戦者決定三番勝負で、7年ぶりに羽生と挑戦権を争う〔第21期竜王戦 決勝トーナメント・七番勝負(日本将棋連盟) 〕。さらに王座戦でも王座16連覇中の羽生への挑戦権を得、五番勝負を戦う〔第56期王座戦挑戦者決定トーナメント/五番勝負(日本将棋連盟) 〕(自身2度目のタイトル戦登場)。この2つの番勝負は日程が並行していたため、羽生との「八番勝負」のようになったが、いずれも敗退した(竜王挑決1-2、王座戦0-3)。
2009年度、第79期棋聖戦挑戦者決定戦(2009年5月7日)で、同棋戦初参加の稲葉陽を破り羽生棋聖への挑戦権を得る。さらに、第50期王位戦でも、羽生名人、渡辺竜王らを破って深浦康市王位への挑戦権を得、タイトル2連続挑戦。羽生との棋聖戦五番勝負は第3局まで2勝1敗でリードして、奪取にあと1勝としたが、第4局で敗れてフルセットの戦いとなる(第4局のネット中継では、最終盤に羽生の手が激しく震えたことが紹介された)。そして、第5局(2009年7月17日)は王位戦第1局(2009年7月13日 - 14日、木村の勝ち)より後に行なわれたが、羽生に敗れ、棋聖位奪取を逃す。また、王位戦七番勝負でも第3局まで3連勝したものの、第4局から4連敗を喫し、またしても初タイトル獲得に失敗している。七番勝負での3連勝4連敗は、将棋界では2例目である。これで、勝てば初タイトルとなる対局で6局連続敗北したことになるが、将棋大賞の敢闘賞を受賞した。
デビュー以来第68期(2009年度)まで順位戦で13期連続負け越しなしを記録(勝ち越し12、指し分け1。A級では3期連続で5勝4敗)。その時点までA級経験者で順位戦の負け越しが一度もないのは、木村一基、木村義雄十四世名人(名人8期・A級2期で引退)、森内俊之(名人5期・A級17期)の3名だけであった。しかし、第69期(2010年度)A級順位戦で初の負け越しを喫した。
第4回(2010年度)朝日杯将棋オープン戦において、2011年2月12日に行われた準決勝(対渡辺明竜王)・決勝(対羽生善治名人)の2局で連勝し、全棋士参加棋戦での初優勝を果たす。しかし、3月2日に行われたA級順位戦最終戦で、残留争いの渦中にいた三浦に負け、B級1組への降級が確定。
2014年、第55期王位戦挑戦者決定戦(2014年5月26日)で千日手指し直しの末、千田四段に勝利し、羽生王位への挑戦権を獲得するも、2勝4敗1持将棋で、タイトル獲得ならず。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「木村一基」の詳細全文を読む




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