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木村三浩 : ミニ英和和英辞書
木村三浩[きむら みつひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [み]
  1. (num) three 

木村三浩 : ウィキペディア日本語版
木村三浩[きむら みつひろ]

木村 三浩(きむら みつひろ、1956年10月19日 - )は、日本新右翼団体「一水会」代表。「月刊レコンキスタ」発行人。元統一戦線義勇軍議長。慶應義塾大学戦没者追悼実行委員会委員。比較憲法学会、三田文学会日本ペンクラブ会員。一般社団法人世界愛国者交流協会代表理事。国際組織NASYO(非同盟諸国学生青年会議)常任理事(1998 - 2003年)。愛国者インターナショナル世界大会(準)実行委員。モスクワ、パリ、ウイーン等、世界愛国者会議に数度にわたって出席。東京都文京区出身。
=== 最近の活動状況 ===

2015年(平成27年)12月7日、西部邁氏が発起人を務める「Omuniumgatherum(オムニアムギャザラム)忘年会」の賛同人として、出席。富岡幸一郎氏、水島総氏、佐高信氏寺脇研氏、窪田哲学氏が同じく賛同人として、立川談四楼師匠による司会で、鳩山由紀夫元首相、脇雅史参議院議員、西田昌司参議院議員、ジャーナリストや文化人など、約150名の方々に出席頂く。
2015年(平成27年)11月24日、「三島由紀夫・森田必勝両烈士 顕彰祭」を開催。記念講演の講師に軍事評論家の田母神俊雄氏をお迎えし実施。
2015年(平成27年)11月19日、ジャーナリストの高野孟氏が編集長の雑誌「インサイダー」創刊四十周年パーティーの発起人を務め、出席。当日は鳩山由紀夫元首相、菅直人元首相や、民主党最高顧問の江田五月参議院議員、民主党の藤田幸久参議院議員、公明党幹事長の井上義久衆議院議員など国会議員多数のほか、元国会議員、地方議会議員、政府関係者が顔を揃え、パーティー発起人の田原総一朗氏、作家の島田雅彦氏、二木啓孝氏やTBSの金平茂紀氏をはじめとするジャーナリストら、二〇〇人を超える錚々たる面々がお祝いに駆け付ける。
2015年(平成27年)11月14日~19日まで、ロシア・モスクワ経由で、クリミア民族共生発展国際会議出席のため、渡航。現地での会議で、オープニングに「民族の共生と発展の秘訣はそれぞれがエゴを抑えて相手の立場を認め、その言語や文化を尊重することだと考えられる。その自制は武士道の精神にも通じるものだ」とあいさつ。また、ロシアのテレビトゥデイの1時間番組に、ゲオルギー・ムラドフ副首相、イタリアの政党「北部同盟」のジオマッテオ・フェラーリ氏などと出演。邦字紙では、11月18日付でロシアNOWに記事を紹介される。滞在中にロシア大統領全権代表のオレグ・ベラベンツェフ氏と5回目の会談を行った。
2015年(平成27年)9月10日、モスクワ、クリミアでの議会選挙補選に専門的な太場から選挙監視団員として訪問。クリミアタタール人の現状について視察。
2015年(平成27年)9月9日、参議院議員会館にて、鴻池祥肇参議院安保関連法制特別委員会委員長に「全日本憂国者連合会議」の山口祐二郎氏が安保法制と沖縄をめぐる建白書を提出、手交し、立ち合う。同月24日、鴻池祥肇参議院議員に一水会フォーラムでの講師を依頼。「安保法制に関しては丁寧に国民に説明する必要がある」とのことで快諾得る。10月7日、第164回一水会フォーラムで鴻池氏が講師を務める。
2015年(平成27年)7月27日、安倍晋三内閣総理大臣宛ての「『戦後七十周年記念談話』をめぐる情勢についての建白書」を、衛藤晟一内閣総理大臣補佐官事務所に赴き、提出・手交。
2015年(平成27年)4月30日、後藤健二氏の母、石堂順子氏と記者会見。湯川遥菜氏と後藤健二氏の遺品・遺骨の帰還をめぐって、ダーイッシュ(IS)と交渉にあたってきたヨルダン人弁護士、ムーサ・アブドラ氏が日本政府より入国を拒否されていることを報告した。
2015年(平成27年)4月10日、湯川遥菜氏と後藤健二氏の遺品・遺骨の帰還をめぐって、ダーイッシュ(IS)と交渉にあたってきたヨルダン人弁護士、ムーサ・アブドラ氏は来日して関係者と会い、交渉経過を報告し、返還のための諸条件を詰めるため、アンマンの日本大使館でビザを申請した。しかし、日本政府は同月22日に氏のビザ発行を拒否する旨をムーサ・アブドラ氏に連絡。その理由は明らかにされなかったことについても語った。
2015年(平成27年)3月14日、ヨルダンを訪問して、ムーサ・アブドラ弁護士と交渉。日本人の遺骨交渉が難しい状況であるが、現地で動く。
2015年(平成27年)3月10日、昨年に続きクリミアを訪問。同道している鳩山由紀夫(友紀夫)元首相とのクリミア訪問になった。〔
2014年(平成26年)9月24日の「TPP交渉差止・違憲訴訟の会」準備会発足の設立メンバーに参加。「TPP交渉差止・違憲訴訟の会」2015年1月24日設立〔〕の呼びかけ人として名を連ねる 。
2014年(平成26年)8月21日、アブハジアの大統領選挙に際し、二度目の国際選挙オブザーバーとして同国を再度訪問する。
2014年(平成26年)8月20日、「ノルマンディー上陸作戦70周年記念式典」におけるプーチン大統領の行動への感謝奏文の返礼として駐日ロシア・エフゲニー・アファナーシエフ大使からプーチン大統領から公式メッセージが届けられる。
2014年(平成26年)8月3日、「一水会ロシア・クリミア訪問団」団長としてオレグ・ベラヴェンツェフ・クリミア連邦管区大統領全権代表ほか政府高官と会見。 イタルタス、リアノーボスチなどロシアの新聞、TVで大きく報道される。詳細はレコンキスタ424号一面に掲載。
2014年(平成26年)3月30日、「もうやめよう!TPP交渉 3・30大行動」に実行委員会メンバーとして参加。日比谷野外音楽堂に1,200人が集結。銀座デモをおこなう。
2014年(平成26年)2月11日、全国民族派統一行動実行委員として全国30都市で「建国記念の日」政府主催式典開催を要求する街宣活動を行う。詳細はレコンキスタ418号一面に掲載。
2014年(平成26年)1月17日、北朝鮮から帰国直後のアントニオ・猪木議員と会談。直近の北朝鮮事情と展望について語る。詳細はレコンキスタ417号一面に掲載。
2013年(平成25年)12月8日、「これでいいのか?!TPP12・8大行動」に実行委員会メンバーとして参加。日比谷野外音楽堂に2,700人が集結。銀座デモをおこなう。
2013年(平成25年)11月24日、三島由紀夫、森田必勝両烈士の志を継承する「野分祭」を実行委員として斎行。
2013年(平成25年)11月2日、慶應義塾大学三田学舎にて学徒出陣等戦没者追悼集会幹事として参列。
2013年(平成25年)10月21日、学徒出陣70周年に際し、出陣学徒壮行会が行われた国立競技場において、「出陣学徒壮行の地」石碑前での戦没者追悼会を実行委員メンバーとして斎行。
2013年(平成25年)9月18日、西側の偏ったシリア情勢報道のあり方についてシリア・アラブ共和国大使館を訪れ、ワリフ・ハラビ代理大使と会談。詳細はレコンキスタ413号一面に掲載。
2013年(平成25年)7月10日、鳩山由紀夫元首相の「尖閣不適切発言」に対し、直談判すべく鳩山事務所を訪れ、同氏と討論に及ぶ。その議論をレコンキスタ411号一面に掲載。
2013年(平成25年)6月20日から24日にかけ、アブハジア共和国を訪問。アンクアヴ大統領と会見。「日本の友」として同国より歓待を受け、この訪問はアブハジア国内の権威あるニュース「アブハジアニュース」でも報じられた。詳しくは7月1日付「月刊レコンキスタ」内の「ワールド・パトリオティック・ニュース」にて掲載。
2013年(平成25年)4月26日から27日にかけ、参議院議員会館前にて「主権回復の日」記念式典への断食抗議活動を実施。また、4月24日には安倍総理側近に建白書を手交。25日には総理官邸に赴き内閣官房と建白書について、約一時間にわたり意見交換、進言する。同建白書を5月1日付「月刊レコンキスタ」で内外に発表。
2013年(平成25年)3月、ネパールを訪問し、マオイスト最高幹部のプラチャンダ議長と会見。ネパールと日本の交流強化を約す。
2012年(平成24年)12月、世界の愛国者との交流を促進するため、一般社団法人「世界愛国者交流協会」を設立。代表理事に就任。
2012年(平成24年)11月、慶應義塾大学戦没者追悼会の実行委員として、先の大戦で亡くなった二千数百名の塾員・塾生の追悼会を先輩・同志と挙行。(4回目)
2012年(平成24年)10月19日、国民戦線ブルーノ・ゴルニッシュ氏が代表を務める欧州の愛国政党の連合組織「欧州民族主義運動同盟」の第一回会議に招待され、ハンガリーを訪問。23日、同国の愛国政党ヨッビクの主催するハンガリー動乱記念集会に参列。
2012年(平成24年)9月14日、一水会結成四十年・レコンキスタ創刊四百号・一水会フォーラム通算五百回記念集会を東京・市ヶ谷にて開催。国会議員、ジャーナリストなど各界各層から四百名を超える来場者を迎える。
2012年(平成24年)4月、駐日アメリカ大使として初めて広島平和祈念式典に参列したジョン・ルース大使へ、長崎原爆犠牲者慰霊平和式典にも参列を求める要請文を送付。〔レコンキスタ396号 〕 6月8日にもロシア大使館で催されたパーティーで会い、口頭で直接要請した。
2012年(平成24年)4月、第4回アラブデー(在京アラブ外交団主催による日本・アラブ諸国の親睦レセプション)に招待され出席。〔レコンキスタ396号
2012年(平成24年)3月、日本民族派団体として初めて駐日ロシア大使ミハイル・ベールイとの単独インタビューを敢行。レコンキスタ396号紙上にて、「真の日ロ友好関係構築のために」と題して掲載。〔レコンキスタ396号
2012年(平成24年)1月、日印国交樹立60年を記念して、インド政府より招待を受けて訪印。その模様を2月20日発売の『週刊朝日』で発表。
2011年(平成23年)12月、多摩武蔵御陵における第13回勤労奉仕活動を実施。
2011年(平成23年)11月、慶應義塾大学戦没者追悼会の実行委員として主に学徒出陣で二千数百名の塾員・塾生の追悼会を先輩・同志と挙行。(3回目)
2011年(平成23年)11月、パレスチナがユネスコに加盟したことで、月刊『レコンキスタ』にてワリード・シアム駐日パレスチナ代表(大使)にインタビュー。
2011年(平成23年)11月、駐日ロシア大使館の2名の外交官とともに靖国神社を昇殿参拝。
2011年(平成23年)10月、インドより、カント・スハイ国務大臣が来日され、歓迎で東京を案内する。
2011年(平成23年)8月、アブハジアの大統領選挙に際し、国際選挙オブザーバーとして同国を再度訪問。アブハジアの現状を『週刊朝日』にて発表。
2011年(平成23年)5月、黒海に隣接するアブハジア共和国を一水会代表団として訪問し、セルゲイ・シャンバ首相、マクシム・グヴィンジア外務大臣、ヌグザル・アシュバ国会議長などと会見。日本からミカンの苗木十本をアブハジアのクリチェンコ公園に植樹した。「日本政府には出来ない親日国家の芽を育てよう」との立場から民間交流を実施した。去年の南オセチア共和国訪問と同様に、アブハジア共和国訪問も月刊レコンキスタで詳細に報告をされている。
2011年(平成23年)3月、『朝日ジャーナル』の緊急増刊号が刊行され、日本再生のために「日本に存在する全ての米軍基地を撤去せよ」と対米従属からの脱却を訴える。
2011年(平成23年)1月、オーストリア自由党の招待により、オーストリアを訪問。シュトラーヒェ党首や党幹部と会見。一水会・オーストリア自由党との連帯友好を強化することで合意した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「木村三浩」の詳細全文を読む




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