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木村 九兵衛(きむら くへえ、安政元年2月28日(1854年3月26日)― 昭和8年(1933年)7月28日)は、日本の明治初頭から昭和にかけて活動した大地主、両羽農工銀行と荘内貯蓄銀行の創業者、荘内銀行第二代頭取、電力会社役員、政治家。山形県鶴岡市矢馳出身、東京大学農学部卒。 == 略歴 == 耕地整理事業に取り組んでいた九兵衛は東大卒業後、耕作地の水不足を解消するためにドイツからドイツ製の15馬力の電動機を輸入し、石川島造船所(IHI)製のポンプと組み合わせた「電力揚水機」を設置した。これが日本最初の「農業電化」といわれ、その技術は日本農業の発展に大きく貢献し、九兵衛は“日本農業電化の生みの親”と呼ばれるようになった。 そしてその後、政界、実業界にも進出し活躍。明治25年(1892年)に大泉村議になったのをはじめ、明治29年(1896年)には西田川郡会議員、明治36年(1903年)には県議会議員に。この年には副議長に推された。また両羽農工銀行、荘内貯蓄銀行を創設し、荘内銀行2代目頭取に就任、鶴岡水力電気株式会社(のちに東北電力へ統合)の取締役として経営に携わるなど、各方面で尽力した。 日清戦争(明治27年7月~明治28年3月)と日露戦争(明治37年2月~明治38年9月)では多額の軍費を奉納。 戦前戦中、全国定員45名だった貴族院多額納税者議員の選挙権と被選挙権を持っていた一人(議員に選出されたことはない)。 昭和3年(1933年)、紺綬褒章受章。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木村九兵衛」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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