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木村半兵衛 : ミニ英和和英辞書
木村半兵衛[きむら はんべえ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [はん]
  1. (n,n-adv,n-suf,n-pref) half 
: [へい]
 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy

木村半兵衛 : ウィキペディア日本語版
木村半兵衛[きむら はんべえ]
3代木村 半兵衛(きむら はんべえ、1843年天保14年) - 1886年明治19年))は、明治時代日本実業家
木村家の初代木村半兵衛は優秀な実業家であったのでこの名前は4代目まで引き継がれた。ここでは両毛鉄道(現両毛線)の敷設にあたって、大きな功績があった3代目木村半兵衛を扱う。
== 略歴 ==
1843年(明治24年)、下野国足利郡(現栃木県足利市佐野市桐生市)猿田村の小泉兵右衛門の次男として生まれる。木村家の木村平七の養子となり、織物の買継商を営み、両毛地区一帯の織物を扱う豪商となる。
1856年安政3年)11月に長男・勇三(のち4代目木村半兵衛)が生まれた記念として、1861年文久元年)には、貧困者に500両の寄付を行った。また「御橋再建寄付連名碑」に発起人総代35両寄進の名が残る。
また、尊皇思想であり、志を同じくする維新志士たちに援助を行った。
明治に入ってからは小俣小学校(現足利市立小俣小学校)創立にも私財を投入し、川上広樹を校長として足利郡の教育に尽くした。
1877年(明治10年)の西南戦争では戦争特需により事業を拡大し、半兵衛の扱う金額は40万両以上にも達した。この年には外国への織物輸出も行うようになり、フランス製ジャガード紋織機を輸入し1882年(明治15年)以降事業は更に拡大された。
1879年(明治12年)、第1回栃木県議会に推薦され、栃木県議会議員となる。同年、栃木町第四十一国立銀行頭取となる。
晩年の1882年(明治15年)には日本鉄道に貢献、1886年(明治19年)には両毛鉄道(現両毛線)の敷設に貢献した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「木村半兵衛」の詳細全文を読む




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