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木村筆之助(きむら ふでのすけ、1924年1月17日 - 1984年4月26日)は大相撲の元幕内格行司。伊勢ノ海部屋所属。長野県出身。本名は田畑 啓。 ==人物== 持病である糖尿病が影響したのか、行司としては失敗したエピソードをいくつか持つ。 *木村今朝三(2代)時代の1970年3月場所12日目、前頭5枚目大雪-同3枚目若二瀬戦で大雪が若二瀬を下手投げで倒したとき、今朝三は大雪の四股名を忘れ、白房下勝負審判に尋ねてようやく勝ち名乗りを上げたり、同年7月場所12日目、前頭8枚目大雄-同5枚目黒姫山戦において立ち合わせず、審判委員が協議のうえ即刻退場処分となった。 *筆之助再改名後の1975年1月場所2日目、前頭10枚目富士櫻-同7枚目栃東戦で富士櫻が栃東を押し出した際転倒して脳震盪を起こしたため立ち上がれなくなり、控えの10代式守与太夫が代わって勝ち名乗りを上げる一幕があった。 *1980年5月場所千秋楽、前頭4枚目蔵玉錦(現武隈)-同6枚目鳳凰戦で筆之助は蔵玉錦と一緒に土俵下に転落、勝敗を確認し軍配を挙げることが出来ず、審判委員に聞いてようやく鳳凰に勝ち名乗りを上げた。 *さらに、同年9月場所4日目、前頭11枚目玉ノ富士(現楯山)-同6枚目荒勢戦では勝負が決まる前に土俵上で転倒するというハプニングがあった。 1966年11月場所より幕内格の筆頭行司であったが、1975年以降は糖尿病の悪化がもとで上記のように力士と接触・転倒することが相次いだため、協会は筆之助を三役格行司に昇進させなかった。玉ノ富士-荒勢戦を裁いた1980年9月場所中に休場。その後亡くなるまで番付に名を残したものの土俵に上がることはなかった。1984年4月26日に逝去。。 上記以外に特筆する一番として、1974年9月場所11日目、幕内での現時点最後の引分である前頭10枚目三重ノ海-同6枚目二子岳戦を裁いている。 掛け声は、昭和40年代中頃までは 「のーこったのこったのこったのこったからかたからかたー!」といった感じの高音でテンポのいいやや嗄れた声が特徴だったが、昭和50年以降は 「ながーーーった、ながったながっ、ながーーーった、ながったながっ」と、やや声量不足で非常に嗄れた濁声が特徴となった。部屋の横綱柏戸の秘書的な役割も担い、地方巡業の時などは行動を共にしていた。 なお、立行司34代木村庄之助は彼の弟子である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木村筆之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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