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木村 誓太郎(きむら せいたろう、1847年3月6日(弘化4年1月20日)- 1919年(大正8年)7月25日)は、明治時代~大正時代の政治家。東員町木村家3代の世襲議員の初代政治家である。木村秀興衆議院議員の父。木村俊夫衆議院議員の祖父。1894年(明治27年)衆議院議員となる。(当選5回,憲政本党所属)。1904年(明治37年)に貴族院議員となる。帝国議会の衆議院議員及び貴族院議員。員弁郡東員町出身。 == 年譜 == *員弁郡北大社村の名門の豪農の家柄出身。若い青年時代から改進党員となる。地方議員となり、三重県議会議員、三重県議会副議長、三重県議会議長を歴任する。殖産興業・交通運輸・関西鉄道取締役として三重県内の鉄道を設立するなどの地方の公共事業に貢献した。〔http://kotobank.jp/word/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E8%AA%93%E5%A4%AA%E9%83%8Eコトバンク〕 *衆議院議員の当選回数は5回。1894年(明治27年)の第3回衆議院議員総選挙で初当選した。1894年(明治27年)の第4回衆議院議員総選挙で再選される。1898年(明治31年)の第5回衆議院議員総選挙で当選。1898年(明治31年)の第6回衆議院議員総選挙で当選。1902年(明治35年)の第7回衆議院議員総選挙で当選した。以後は衆議院議員を辞職して多額納税者議員として貴族院議員に転身した。1919年(大正8年)7月25日に死去した。 *員弁郡の地縁・血縁重視の地域主義者で、官憲に逆らい1873年(明治6年)の地租改正条例に反対するなど、公共心を持ち地域貢献した政治家であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木村誓太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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