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木村 重信(きむら しげのぶ、1925年8月10日 - )は、日本の美術史家、大阪大学および京都市立芸術大学名誉教授。民族芸術学会名誉会長。民族芸術学、近現代美術史を専攻。 == 経歴 == 京都府綴喜郡青谷村(現在の城陽市)の宇治茶問屋・丸京山城園製茶場の経営者であった木村重太郎とトヨの二男として出生。姉、兄、弟、妹六人きょうだいの三番目である。1949年京都大学文学部哲学科卒業、1953年京都市立美術大学講師、1956年から1957年までソルボンヌ大学民族学研究所に留学。1958年助教授、1969年 京都市立芸術大学 美術学部教授、1974年 大阪大学 文学部教授、1975年「美術の始源」で大阪大学文学博士、1976年国立民族学博物館併任教授、1989年大阪大学を定年退官、大阪府顧問、1992年国立国際美術館館長、その後兵庫県立美術館長。この間世界全域で多くのフィールドワークをおこなう。 1966年『カラハリ砂漠』で毎日出版文化賞受賞、1991年大阪文化賞、1998年勲三等旭日中綬章、1999年京都市文化功労者、2001年兵庫県文化賞など受賞。 太宰治『パンドラの匣』の底本となった日誌の書き手・木村庄助は実兄であり、津島美知子から返却された日誌は重信の編纂で刊行された。 丸京山城園製茶場の経営者で歌人の木村草弥は実弟。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木村重信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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