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木村陽子 : ミニ英和和英辞書
木村陽子[きむら]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [よう]
  1. (adj-na,n-adv,n) way 2. manner 3. kind 4. sort 5. appearance 6. like 7. such as 8. so as to 9. in order to 10. so that 1 1. yang 1
陽子 : [ようし]
 【名詞】 1. proton 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

木村陽子 ( リダイレクト:エド・はるみ ) : ウィキペディア日本語版
エド・はるみ[こ, ね]

エド・はるみ1964年5月14日本人のプロフィール(吉本興業公式サイト) 〕 - )は、日本お笑い芸人女優
東京都出身。吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属。
茨城県千葉県、東京都で、幼少期から学生時代を過ごす。明治大学文学部文学科演劇学専攻卒業。身長156cm。バラエティ番組などで「○○グゥ〜」のネタで知られている。
== 経歴 ==
茨城県鹿島郡波崎町(現・神栖市)立波崎第二中学校、私立日出学園高校(千葉県市川市)を経て、明治大学文学部文学科演劇学専攻を卒業する。
1988年円・演劇研究所を卒業し、以降女優(主に舞台女優)として一人芝居などを行い活動を続ける(当時の芸名は江戸はるみ)。小劇場で舞台女優として活動していた頃の役者仲間に出川哲朗がおり、「出川君」と呼んでいたとのこと。またその一方で、Microsoft Office Specialistの資格を取り、コンピューターインストラクターとマナー講師の仕事をしていた。
2004年から2005年頃にかけて表現の方向を転換してお笑い芸人を志す。このことについて、本人は「ふつふつと湧き上がる笑いに対する情熱を抑えきれず」と話している。事務所に所属していないアマチュアとして芸人コンクールのR-1ぐらんぷり2005に出場、2回戦で敗退。その後、本格的にお笑いの勉強をするため、吉本興業の養成学校であるNSC東京、11期生最年長として入学。入学時の挨拶は「年齢や経験は忘れて、一からの気持ちで頑張ります」〔エド・はるみの問い合わせてみました。 「喋っていこう」 2010年1月10日閲覧〕教室の常に最前列で授業を受け2006年4月に皆勤賞で卒業。同年5月17日に東京都新宿区のルミネtheよしもとで芸人デビューをした。
NSC東京卒業から3か月後の2006年7月22日日本テレビの『エンタの神様』に地上波のテレビ番組初出演。同番組では「木村陽子」(風貌が似ている日テレ所属の元アナウンサー・木村優子のパロディ)名義で3回出演したが(同名義でのドラマ出演もある)、ここではブレイクには結びつかず、2008年2月23日放送分以降の出演では、同番組限定の芸名ではなく「エド・はるみ」で出演している。
2007年8月19日放送の日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』において、その頃はまだ知名度がそれほど高くなかったにも関わらず、品川庄司品川祐から何度もネタを振ってもらいその場の笑いを取った。このことからエドは品川に感謝の念を抱いており、エド自身を特集したドキュメンタリー番組のインタビューにおいて、「このときのことは決して忘れてはならない」と涙を流しながら語った。またこの放送の後日、品川に感謝の気持ちとして粗品を届けたという。
2008年2月17日フジテレビ系で放送された『一瞬で笑えるネタ祭爆笑レッドカーペット祝1周年記念特別企画史上最高56組が大集結笑いっぱなしの3時間新ネタ新キャラ新芸人続々登場スペシャル!』で優勝。選者は石原良純
同年2月26日日本テレビ系で放送された『踊る!さんま御殿!!』で、お笑い芸人になってから恋愛を封印した事と、実はバツイチで結婚期間1年間と告白した。
また、同年3月9日放送の『THE・サンデー』では、「(バツイチではあるけれど)『1婚』と呼べば前向きな気持ちになれる」と発言している。
2008年7月期のTBS系ドラマ『Tomorrow〜陽はまたのぼる〜』に女優として連続ドラマに初のレギュラー出演し、看護師長役を演じた(ただし、江戸はるみ時代にも連続ドラマのレギュラー出演経験があり、厳密には「初」ではない)。
雑誌のインタビューや自身のブログにおいて、『24時間テレビ』のチャリティーマラソンランナーに選出されることを勝手に夢見て、6年前から毎日10kmランニングを続けていることを明かしていた。そして、2008年6月19日放送の『ズームイン!!SUPER』の中で、前年のランナー・萩本欽一からマラソンランナーに決定したことが直接本人に発表され、その願いは実現した〔エド自身はこの日出演することになっていた『スッキリ!!』の打ち合わせと聞かされていたため、何も知らなかった。〕。2008年8月30日 - 31日に放送された同番組内では、当時女性ランナーの走行距離としては歴代最長となる113kmを完走した。
2009年3月には東京マラソンを完走した。
2010年10月10日に一般男性と入籍した。
2011年12月3日、2009年以降急速にテレビ出演が減った原因は「島田紳助に干されたから」とする一部報道に対し公式ブログで反論、紳助との確執は全くなく、テレビから声がかからなくなったのは新入マネジャーの問題行動や私自身のこともあるのでしょうと説明した。
2013年11月22日放送分のTBS系『中居正広の金曜日のスマたちへ』において、不妊治療に専念するため、年内いっぱいで社交ダンスの企画から降板することが発表された。その際「私は今年49歳になる」と告白したことから1964年生まれなのも明らかになった。
2014年8月8日にエドの運転する乗用車とバイクが接触し、バイクに乗っていた男性会社員が軽傷を負った〔エド・はるみさん:麻布十番で運転の車とバイク接触(毎日新聞) 〕。エドはブログで事故の件を謝罪した。
2014年漢字検定2級合格。
2014年10月2日、一部週刊誌の記事及びインターネット上で展開されている事実無根の誹謗中傷のコメントに対して、法的手続きの対応を開始した。2009年以降から5年間に渡って誹謗中傷行為が繰り返されており精神的苦痛を味わい続けているという。担当弁護士はブログで「タレントであるとの一事をもっていかなる誹謗中傷に対しても、忍従しなければならないということにはなりえません」「言論の自由はあるが言論には当然に責任を伴います」と発言している。
2015年慶應義塾大学大学院の修士課程に合格。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エド・はるみ」の詳細全文を読む




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