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木脇 祐昌(きのわき すけまさ、天文16年(1547年)- 天正13年8月10日(1585年9月30日))は戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国島津氏の家臣。通称は刑部左衛門。父は木脇祐定。母は町田丹後守の娘。子は木脇祐吉(祐貞とも)、木脇祐秀。 木脇祐定の嫡子として誕生した。島津義弘に仕え、永禄9年(1566年)の三ツ山城攻めで功を為した。天正11年(1583年)10月、肥後国の花の山城の城主ならびに地頭に任じられたが、天正13年(1585年)8月、甲斐親英の率いた阿蘇8千町の多勢に城を攻囲される。祐昌は駆け付けた鎌田政虎や、救援の相良氏の軍勢と共に奮戦するも手負いとなり、辞世の句(後述)を詠んで敵中に駆け入り討ち死にを遂げた。また、城も落城し、鎌田政虎や深水摂津介(深水長智の嫡子)ら30余名が討ち死にした。 ==辞世== *「打人も 打るる人も 戯の 浮世の夢は 今ぞ覚ける」 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木脇祐昌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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