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末喜(ばっき、まっき)は、夏の最後の帝・桀(けつ)の妃の一人。妺喜、末嬉、妺嬉とも書かれる(3つ目の表記のように妺(ばつ)と妹(まい)を混同した表記も存在している)。 == 概要 == 末喜は山東の有施氏の娘であるとされ、桀が有施氏を討った際に降伏のしるしとして献上された。一説には、当初より桀は末喜を要求したとも言われる。絶世の美女といわれた末喜はすぐに桀に気に入られ、妃とされて愛された。剣や冠を装備して宮殿に参内することもあったという。寵姫に溺れた悪王として桀は知られ、殷の帝辛(紂王)とともに「夏桀殷紂」(かけついんちゅう)と並び称される。 末喜の願いに応えるために桀は瑤台(ようだい)あるいは傾宮(けいきゅう)という巨大な宮殿を建て、落成祝いにはかつてない規模の宴会を催した。祝宴では池に酒を満たして樹々に肉を吊るした(「酒池肉林」や「肉山脯林」と形容される)。また、末喜が絹を裂く音を好んだため、高価な絹が集められ、つぎつぎと音を聴かせるためだけに引き裂かれた〔袁珂 『中国の神話伝説』下、鈴木博 訳、青土社、1993年、30-31頁。〕。 これらのみだれた行いを諫めた賢臣・関竜逢を桀は殺した。そのころ家臣となっていた伊尹もこの行いを批判し湯王のもとへ帰っている。 殷(商)の湯王は兵を挙げ、夏を亡ぼした。桀と末喜とは鳴条、南巣〔安徽省巣湖市あたりといわれる。 袁珂『中国の神話伝説』下、鈴木博 訳、青土社、1993年、51頁。〕へと落ちのび生涯を終えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「末喜」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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