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末弘 ヒロ子(すえひろ ひろこ、明治26年(1893年)5月20日 - 昭和38年(1963年)3月18日)は、福岡県小倉市長・末弘直方の七人兄弟の四女。明治41年(1908年)3月、学習院女学部3年生(16歳)のとき、日本初の全国規模ミスコンとなった時事新報社主催「日本美人写真募集(良家の淑女写真コンクール)」において第一位となり「日本のミスコン優勝者第一号」とされる。 学習院退学後、のちに貴族院議員となる野津鎮之助(侯爵、陸軍大将・野津道貫の長男)と結婚。次女・真佐子は倉敷絹織(現・クラレ)社長・大原総一郎の妻。ヒロ子の姉直子は建築家の山下啓次郎と結婚。直子と啓次郎の孫がジャズピアニスト山下洋輔である。 ==幼年期~少女期== 幼い頃から活発で、舞踊、茶道、華道に励み、音楽も琴とピアノをたしなみ、聡明な子供だった。 しかも良家の子女で、小倉小町として地元では有名であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「末弘ヒロ子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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