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末弘 直方(すえひろ なおかた、1848年1月30日(弘化4年12月25日)〔「末弘直方北海道函館区長就任ノ件」〕 - 1920年(大正9年)〔『幕末維新大人名事典』下巻、674-675頁。〕)は、幕末の薩摩藩士、明治期の内務・警察官僚。官選県知事、函館区長、小倉市長、福岡県八幡市長。 ==経歴== 薩摩国薩摩郡平佐郷平佐村(現薩摩川内市平佐町)〔で、薩摩藩士・末弘直温の三男として生まれる〔『新編日本の歴代知事』941頁。〕。藩校造士館で学んだ〔。 慶応3年9月10日(1867年10月7日)、薩摩藩組頭に就任。その後、役人、半隊長を務めた。明治4年8月(1871年)、御親兵の補充として上京し第三大隊一番小隊に編入され、明治5年8月10日(1872年9月12日)、伍長に任官。1873年10月、病のため除隊して帰郷した。同年11月、鹿児島県に奉職し、二等教授第二十八郷校掛となる〔。 1874年8月、再度上京し警視庁四等巡査に任官。以後、一等巡査、警部補、兼千葉県十五等出仕、少警部、第一局詰、権中警部、二等中警部などを歴任〔。1877年1月、同郷の警視庁警部、中原尚雄たちと帰郷し、西郷隆盛らの動向を探索中に私学校党に捕えられ、西南戦争勃発の遠因となった〔『警視庁史 明治編』134頁。〕。その後、二等中警部、権大警部、二等警視補、一等警視補、四等警視兼一等警察使を歴任し、1883年2月、警視庁を退職した〔。 1883年5月、再び鹿児島県に奉職し、菱刈・姶良・桑原・囎唹郡長に就任。その後、高城・出水・伊佐・薩摩・甑島郡長、谿山・北大隅郡長などを歴任〔。 1889年3月、再び警視庁に転じ三等警視となる。以後、小石川警察署長、小石川町警察署長、第五第六方面監督、二等警視、宮城県警部長、警視庁警視・巡査本部長、同第二部長、同第一部長などを歴任〔。 1897年4月、高知県知事に就任〔。1898年7月、岩手県知事に転任。岩手県農学校を開校するなど学校の整備に尽力〔『新編日本の歴代知事』121頁。〕。1900年4月、知事を休職〔『官報』第5044号、明治33年4月28日。〕。同年10月、香川県知事に就任〔『新編日本の歴代知事』894頁。〕。1902年2月に知事を休職となった〔『官報』第5578号、明治35年2月10日。〕。 その後、函館区長〔『函館市史 通説編 第3巻』33-35頁。〕(1903年9月 - 1904年9月)、小倉市長(1906年5月〔『官報』第6871号、明治39年5月28日。〕 - 1912年5月〔「従四位竜岡信熊福岡県小倉市長就任ノ件」〕)を歴任。1914年10月、福岡県遠賀郡八幡町長に就任〔『北九州市史 近代・現代 行政・社会』311頁。〕。同町が市制施行し、1917年7月、初代市長に就任し〔『官報』第1491号、大正6年7月20日。〕、1918年9月に辞任した〔「堀口助治福岡県八幡市長就任ノ件」〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「末弘直方」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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