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末永 正昭(すえなが まさあき、1947年9月7日 - )は愛媛県出身の元プロ野球選手。 == 来歴・人物 == 愛媛県立松山商業高等学校では、2年生エース西本明和を擁し、三塁手、二番打者として1965年の夏の甲子園予選北四国大会決勝に進出。高松商と対戦し、西本と小坂敏彦投手の投手戦となるが、1-2で惜敗し甲子園出場を逸する。 卒業後は中央大学へ進学。東都大学リーグでは、宮本幸信投手の好投もあって1967年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会でも、決勝で慶大を破り優勝。リーグ通算75試合出場、193打数41安打、打率.212、1本塁打、7打点。ベストナイン1回。大学同期に皆川康夫、長井繁夫、萩原康弘がいる。熊谷組に進み、1970年の第41回都市対抗野球大会に出場。 同年のドラフト2位で阪神タイガースに入団。ノンプロ屈指の三塁手と期待され、1971年のジュニアオールスターゲームにも選出される。同年は大倉英貴、後藤和昭とレギュラーを争うが、打撃面で伸び悩み、1973年から外野手に登録を変更した。俊足好守の選手であったが前述のように打撃が今一つだったため、主に代走や守備固めで出場している。そのため、約230試合出場しているが89打数しか無い。1977年引退。 引退後は、二軍マネージャー、一軍マネージャーを経て、阪神のフロントに入り、編成部長チーフスカウトを務めたが、2000年に阪神総合レジャーへ出向。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「末永正昭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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