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末續愼吾 : ミニ英和和英辞書
末續愼吾[まつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
  1. (n-adv,n) the end of 2. powder 
: [われ]
 【名詞】 1. me 2. oneself 3. self 4. ego

末續愼吾 ( リダイレクト:末續慎吾 ) : ウィキペディア日本語版
末續慎吾[すえつぐ しんご]

末續 慎吾(すえつぐ しんご、1980年6月2日 - )は、日本の陸上選手熊本県熊本市出身。北京オリンピック男子4×100mリレー銅メダリスト。
東海大学高野進の指導を受ける。高野が日本人の体格に合わせて構築した走法を完成させ、世界陸上2003年パリ大会200mで3位となった。日本人でこの種目のメダル獲得は初めて。また、2006年のアジア大会の200mで2連覇するなどし、全盛期にはパトリック・ジョンソンとともに、「現役世界最速の非ネグロイド」とも言われた。
2008年8月22日の北京オリンピック男子4x100mリレー決勝では第2走者として激走〔第1走者:塚原直貴、第2走者:末続慎吾、第3走者:高平慎士、第4走者:朝原宣治〕、オリンピックにおける日本男子トラック種目で初の銅メダル獲得に貢献した。
400mは練習の一環として取り組むが、学生時代には関東学生陸上競技対校選手権大会の4×400mリレー決勝で、東海大学のアンカーとして走り、44秒7のラップタイムで走った〔日本記録は高野進の44秒78。加速がつく分フラットレースよりも記録がよい〕。
サッカー選手松本憲は従弟にあたる〔末続のいとこ、千葉の松本が先発濃厚 - ゲキサカ 2008年3月7日掲載〕。
== 経歴 ==
西原中学九州学院高校東海大学を経て、ミズノに入社。社内留学で東海大学大学院修了。現在は熊本陸上競技協会所属。
小学校時代に全国小学生陸上競技交流大会に出場し、同じ学年の池田久美子走幅跳の記録上、負け(池田は5m19、末續は4m85)、走幅跳を競技しなくなる。中学時代は、九州大会で100m2位に入った。
高校時代、国体の100mで2度優勝した。高1の時の県大会では、4種目〔100m、200m、走幅跳、4×100mリレー。〕 の後に顧問が止めたのにマイルリレーのアンカーを務め、走りきったあと倒れた。高3のインターハイの2週間前に体育の授業でバスケットボールの最中に体育館の窓ガラスにかかとを突っ込み15針を縫う怪我をするが出場し、100mでは決勝まで進出したものの8位、優勝候補の200mでは25秒となり予選落ちした。
大学在学中に両親の離婚や、父との死別など不幸が重なり、陸上競技を続けることが経済的に困難となるが、シドニーオリンピック代表入りし、陸連強化指定選手となり競技を続ける。なおそれまでは、食事が玉ねぎ一個だけであったり、練習時間を確保するため、深夜3時まで居酒屋の皿洗いのアルバイトをする等、苦境を乗り越えた末にオリンピック代表を勝ち取った。
2003の世界陸上パリ大会では、8月29日の男子200m走決勝に進出し、20秒38で3位となった〔iaaf.org - World Championships in Athletics 2003 - Results 200 Metres M Final 〕。当時のフランス地元テレビ放送で「 ''Il est formidable, ce type.'' (すごい奴だ) 」と紹介され、銅メダルを獲得して高野と泣きながら抱き合う映像がフランス国内でも放映された。同年10月8日には、3人目となる熊本県民栄誉賞を受賞した〔末續慎吾選手(ミズノ)県民栄誉賞授与式の模様(2003-10-8) - 熊本県体育協会〕。
2007年世界陸上選手権での4×100mリレー決勝サブトラックでは、「朝原さんにメダルを!」と発言した。この時はアジア新記録ながら5位だったが、北京オリンピックで銅メダルを獲得し、1年後に実現した。
2008年、北京での4×100mリレーでは2走を務めた。
2008年10月以降は、疲労を理由に無期限休養を宣言。
2011年10月、3年ぶりにレースに復帰した〔末続が3年ぶりレース復帰 ロンドン五輪へ競技本格化 - 共同通信、2011年10月4日〕。
2012年、ロンドン五輪代表選考会でもある日本選手権への参加を目指し、5月19日の東日本実業団で出場したが、標準記録を切れずロンドン五輪出場の可能性は途絶えた。10月の国体では熊本県代表に選ばれ400mリレーでチームのアンカーとして予選と準決勝を走った〔末續慎吾、再始動からの1年 - スポーツナビ、2012年10月30日〕。
2013年、4月13日の熊本県選手権100mに出場し、江里口匡史に次ぐ2位に入った〔末続 今季初レースで2位「3本走るのが目標だった」 スポニチ Sponichi Annex (2013-4-13) 2014年7月17日閲覧。〕。5月の東日本実業団100mでは去年に続き決勝に進出したが、準決勝で右脚を痛めたために決勝は棄権した〔福島200mV、末続100m棄権/陸上 日刊スポーツ nikkansports.com (2013-5-18). 2014年7月17閲覧。〕。9月の全日本実業団100mでは10秒54のシーズンベストをマークして5位〔2013年1月~2013年9月の試合結果一覧 ミズノ公式サイト (2013-9-22). 2014年7月16閲覧。〕。10月の国体400mリレーでは昨年に続き熊本県代表のアンカーを務め、4位入賞を果たした。
2014年、4月19日の東京選手権100mに出場。利き足の右足を前に置くスタートではなく、左足を前に置いてスタートするという新しい走り方で挑み、準決勝で敗退した〔【陸上】末続、今季初レース「逆足発進」で10秒87 スポーツ放置 (2014-4-20). 2014年7月17閲覧。〕。5月の東日本実業団100mは3年連続の決勝進出を果たして4位。6月の日本選手権は参加標準記録Aを切れなかったため、出場は叶わなかった。
2015年3月31日付でミズノを退社。4月1日からは熊本陸上競技協会所属で、東京と熊本を拠点に競技を続けていく。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shingo Suetsugu 」があります。




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