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本因坊道的 : ミニ英和和英辞書
本因坊道的[ほんいんぼう どうてき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
本因坊 : [ほんいんぼう]
 【名詞】 1. grand master of the game of go 
: [いん]
 【名詞】 1. cause 2. factor 
: [まと, てき]
 【名詞】 1. mark 2. target 

本因坊道的 : ウィキペディア日本語版
本因坊道的[ほんいんぼう どうてき]
本因坊 道的(ほんいんぼう どうてき、寛文9年(1669年) - 元禄3年5月7日1690年6月13日))は江戸時代囲碁棋士伊勢国松坂の生まれ、元の姓は小川、本因坊道策の跡目で七段上手。法名は日勇。
== 生涯 ==
父は小川草庵。幼少より碁を好み、本因坊道策門下となる。13歳の時に六段格となり神童と呼ばれ、また桑原道節らとともに道策の五弟子・五虎と呼ばれた。貞享元年(1684年)に本因坊跡目になり、御城碁に出仕。翌貞享2年の御城碁で安井春知の先番に勝ち、寺社奉行より手合いを七段に進めるように申し渡される。寺社奉行が手合いに関与する事は極めて異例の事で、道的の力が当時の碁界に認められていた事を示している。試しに道策と互先で打ってみたところ、互いに1目勝の打ち分けとなった。
師の道策と同じく、残された棋譜の中には黒番での負けはない。13歳で六段、19歳の時に棋聖道策と打ち分けたということから、道的こそ史上最強の棋士ではないかと言われることもある。わずか21歳で夭折し、再跡目には佐山策元が立てられたが、彼もまた25歳で世を去った。
; 御城碁戦績
* 1684年(貞享元年)先番7目勝 安井春知
* 1685年(貞享2年)白番3目勝 安井春知
* 1686年(貞享3年)白番5目負 安井春知
* 1687年(貞享4年)先番13目勝 安井知哲
* 1688年(元禄元年)先番12目勝 安井知哲
* 1689年(元禄2年)白番17目勝 安井知哲

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「本因坊道的」の詳細全文を読む




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