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本城 宣馬(ほんじょう、弘化4年(1847年)6月21日 - 1904年)は、徳山藩士、日本陸軍軍人。妻は留、子は本城嘉守。 == 経歴 == 安政元年(1854)、7歳で興譲館入館。元治元年(1864)、父本城清が俗論党により入獄される。家柄断絶の為、実家浅見家に預かりの身となる。翌年、徳山七士殉難により父を失う。清が獄中に於いて妻子に宛てた遺書は下記のようなものである。 等を遺言として殉じた。 冤罪をもって父を失い、犯罪人の子という境遇に17歳で置かれた心情はいかばかりであったろう。この境遇は、児玉源太郎も同じであった(小説:天辺の椅子冒頭にて書かれている)。 慶応元年(1865年)、本城家は家柄を回復し、宣馬は家督を仰せ付けられる。明治元年、21歳の時に奥州征伐従軍。明治4年7月、陸軍条例制定後の8月、歩兵少尉任官。明治8年3月に陸軍大尉任官。明治17年には佐賀の役、西南戦役の功により勲5等。明治21年歩兵少佐昇進し、近衛歩兵第2連隊、その後歩兵第8連隊大隊長、大津大隊区司令官などを歴任し明治31年退官。従5位。明治37年(1904年)、57歳で永眠。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本城宣馬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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