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本多俊次 : ミニ英和和英辞書
本多俊次[ほんだ としつぐ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [じゅん]
 【名詞】 1. excellence 2. genius
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

本多俊次 : ウィキペディア日本語版
本多俊次[ほんだ としつぐ]

本多 俊次(ほんだ としつぐ)は、江戸時代前期の大名酒井忠次の孫。康俊系本多家宗家2代。
== 生涯 ==
文禄4年(1595年)、徳川氏の重臣(のち膳所藩初代藩主)本多康俊の長男として下総小篠で生まれる。慶長15年(1610年)に従五位下・下総守に叙任される。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では父と共に参加し、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では将軍・徳川秀忠に従って武功を挙げた。
元和7年(1621年)2月、父の死去により家督を継いで膳所藩主となる。しかし7月、5000石加増の3万5000石で三河西尾に加増移封された。寛永9年(1632年)10月23日、遠江掛川城の守備を務めた功績などにより、寛永13年(1636年)6月23日に1万5000石加増の5万石で伊勢亀山に加増移封された。そして慶安4年(1651年)4月4日、2万石加増の7万石で、再び膳所藩主として再任された。
寛文4年(1664年)9月12日、次男の康将家督を譲って隠居する。寛文8年(1668年)8月11日、膳所で死去した。享年74。





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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