翻訳と辞書
Words near each other
・ 本多健一
・ 本多光太郎
・ 本多光夫
・ 本多克典
・ 本多利明
・ 本多利朝
・ 本多利長
・ 本多副元
・ 本多副充
・ 本多副昌
本多副紹
・ 本多劇場
・ 本多劇場グループ
・ 本多力
・ 本多加奈
・ 本多助之
・ 本多助受
・ 本多助実
・ 本多助寵
・ 本多助成


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

本多副紹 : ミニ英和和英辞書
本多副紹[ほんだ すけつぐ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [ふく]
  1. (n,pref) duplicate 2. copy 3. assistant 4. associate 5. vice- 6. sub- 7. deputy 8. substitute 9. auxiliary 10. supplementary 1 1. additional 12. collateral 1

本多副紹 : ウィキペディア日本語版
本多副紹[ほんだ すけつぐ]
本多 副紹(ほんだ すけつぐ、享保4年7月11日1719年8月26日) - 安永9年3月22日1780年4月26日))は、福井藩家老。本多家第5代当主。
父は本多長教。正室は公卿綾小路俊宗の娘。継室は公卿萩原兼武の娘。子は本多副脩本多副邵本多副充。幼名万之助。通称内蔵助。初名、富紹(とみつぐ)。
享保4年(1719年)7月11日、福井藩家老本多長教の長男として府中に生まれる。享保13年(1728年)父の死去により10歳で家督と2万石の知行を相続。幼少の為、一族の本多修理恒久が後見を務めた。
元文2年(1737年)7月、称念寺で行われた新田義貞400回忌に藩老として列席する。元文4年(1739年)綾小路俊宗の娘と結婚。翌年正室が死去。寛保元年(1741年)萩原兼武の娘と再婚。宝暦10年(1760年)名を富紹から副紹に改める(同年に藩主の仙之助が元服して松平重富と称し、この偏諱を避けたものと思われる)。宝暦12年(1762年)大火で府中の屋敷や藩邸が延焼。火消組を組織する。明和5年(1768年)福井城下で起こった打毀し騒動を取り静める。明和9年(1772年)に長男副脩、次男副邵が疱瘡で死去。安永9年(1780年)3月22日没。享年62。家督は三男副充が相続した。
== 参考文献 ==

* 東京大学史料編纂所「本多家譜」
* 「武生市史」



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「本多副紹」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.