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本多助実 : ミニ英和和英辞書
本多助実[ほんだ すけざね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [すけ]
 (n) assistance
: [み, じつ]
 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result 

本多助実 : ウィキペディア日本語版
本多助実[ほんだ すけざね]

本多 助実(ほんだ すけざね)は、信濃飯山藩の第7代藩主。一時期、家督を譲って隠居するが、続く2代の早世により、第10代として再任する。広孝系本多家11代。
== 生涯 ==
文政2年(1819年)3月29日、第5代主・本多助受の3男として江戸で生まれる。誕生当時、父・助受は既に家督養子助賢に譲って隠居の身だった。文政13年8月13日、助賢の養子となる。天保7年(1836年)12月1日、将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下伊勢守に叙任する。安政5年(1858年)4月22日、養父・助賢の隠居により、家督を相続した。元治元年(1864年)9月、奏者番に就任した。慶応2年(1866年)11月、奏者番を辞任した。慶応3年(1867年)4月4日、隠居し、長男の助成に家督を譲った。隠居にともない、恒山と号した。
しかし、助成が慶応4年(1868年)に早世したため、8男の助寵に跡を継がせ、自らはその後見人となった。版籍奉還後の明治2年(1869年)9月2日、助寵は病気のために隠居し、助実が第10代藩主として再任し、飯山藩知事となった。その後は藩政改革に努めたが、明治4年(1871年)7月15日、廃藩置県のため藩知事を免職された。明治6年(1873年)4月5日、再び隠居し、11男の助順に家督を譲った。明治10年(1877年)3月1日に死去した。享年59。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「本多助実」の詳細全文を読む




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