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本多平八郎 : ミニ英和和英辞書
本多平八郎[ほんだ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [やつ]
 (num) eight

本多平八郎 ( リダイレクト:本多忠勝 ) : ウィキペディア日本語版
本多忠勝[ほんだただかつ]

本多 忠勝(ほんだ ただかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将大名徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓藤原氏
徳川四天王徳川十六神将徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。兜は、鹿角脇立黒漆塗兜。
== 生涯 ==

=== 出生・初陣と初首 ===
天文17年(1548年)、安祥松平家(徳川本家)の最古参の安祥譜代の本多氏で、本多忠高の長男として〔〔『寛政重修諸家譜』〕、三河国額田郡蔵前(愛知県岡崎市西蔵前町)で生まれた〔郡 p.13。〕。
天文18年(1549年)、父・忠高が戦死し、叔父・忠真のもとで育った。
幼い頃から徳川家康に仕え、永禄3年(1560年)13歳の時に桶狭間の戦いの前哨戦である大高城兵糧入れで初陣する〔。このとき、同時に元服した〔『徳川実紀』〕。
初首は14歳の時で、鳥屋根城攻めで忠真の部隊に属し、この時忠真が槍で敵兵を刺しながら忠勝を招き、「この首を取って戦功にしろ」と言ったが、忠勝は「我何ぞ人の力を借りて、以て武功を立てんや」〔『名将言行録』。〕と言って自ら敵陣に駆け入り敵の首を挙げたので、忠真をはじめとする諸将は忠勝を只者ではないと感じ入った〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「本多忠勝」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Honda Tadakatsu 」があります。




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