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本多 幸七郎(ほんだ こうしちろう、弘化2年(1845年) - 明治38年(1905年)〔樋口(2012)p75〕〔なお、『全国版幕末維新人物事典』p296では、天保12年(1841年)生、没年不明となっている。〕 )は、幕末の旗本。名は忠直。禄高400石。幕府陸軍の士官として歩兵頭を務める。戊辰戦争では大鳥圭介の腹心として、伝習隊を率いて南関東から箱館まで転戦した。戊辰戦争後は駿府に行き、静岡藩が設立した沼津兵学校の教官を務める。 == 経歴 == === 幕臣時代 === 旗本・本多八左衛門の孫。父が早世しており、安政6年(1859年)、祖父の家督を継ぎ、将軍の警護等を務める新番に就く〔旧幕府軍・陸軍 - 五稜郭タワー〕。 文久元年(1861年)、東禅寺事件でイギリス公使館を守備し尊王攘夷派浪士と戦い、銀20枚を褒美として受け取る〔徳川幕臣人名事典p601〕。元治元年(1864年)、慶応2年(1866年)に将軍・徳川家茂を警護し上洛する〔。慶応2年に歩兵指図役、慶応4年(1868年)に歩兵頭に昇進する〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本多幸七郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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