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本多 康俊(ほんだ やすとし)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての徳川氏の家臣。三河西尾藩主、近江膳所藩初代藩主。康俊系本多家宗家初代。 == 生涯 == 徳川四天王の筆頭酒井忠次の次男。生母は松平広忠の妹なので、徳川家康とは従兄弟の関係に当たる。天正3年(1575年)、織田信長の人質として織田氏のもとへ赴いた後、天正8年(1580年)に本多忠次の養子となった。天正18年(1590年)、家康が関東へ移封されると、下総国に5000石の所領を与えられた。 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにも参加し、その戦功により三河西尾に2万石の所領を与えられた。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では近江膳所城を守備し、翌年の大坂夏の陣では天王寺・岡山の戦いに参加して首級を105個も挙げたという。その戦功により、近江膳所に3万石で加増移封された。 元和7年(1621年)2月7日、53歳で死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本多康俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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