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本多康俊 : ミニ英和和英辞書
本多康俊[ほんだ やすとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [じゅん]
 【名詞】 1. excellence 2. genius

本多康俊 : ウィキペディア日本語版
本多康俊[ほんだ やすとし]

本多 康俊(ほんだ やすとし)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての徳川氏の家臣。三河西尾藩主、近江膳所藩初代藩主。康俊系本多家宗家初代。
== 生涯 ==
徳川四天王の筆頭酒井忠次の次男。生母は松平広忠の妹なので、徳川家康とは従兄弟の関係に当たる。天正3年(1575年)、織田信長の人質として織田氏のもとへ赴いた後、天正8年(1580年)に本多忠次の養子となった。天正18年(1590年)、家康が関東へ移封されると、下総国に5000石の所領を与えられた。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにも参加し、その戦功により三河西尾に2万石の所領を与えられた。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では近江膳所城を守備し、翌年の大坂夏の陣では天王寺・岡山の戦いに参加して首級を105個も挙げたという。その戦功により、近江膳所に3万石で加増移封された。
元和7年(1621年)2月7日、53歳で死去した。





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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