翻訳と辞書
Words near each other
・ 本多平八郎
・ 本多平直
・ 本多幸七郎
・ 本多広孝
・ 本多康伴
・ 本多康俊
・ 本多康匡
・ 本多康命
・ 本多康完
・ 本多康将
本多康慶
・ 本多康政
・ 本多康敏
・ 本多康明
・ 本多康桓
・ 本多康直
・ 本多康禎
・ 本多康穣
・ 本多康紀
・ 本多康融


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

本多康慶 : ミニ英和和英辞書
本多康慶[ほんだ やすよし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 

本多康慶 : ウィキペディア日本語版
本多康慶[ほんだ やすよし]

本多 康慶(ほんだ やすよし)は、近江膳所藩の第4代藩主。康俊系本多家宗家4代。
== 生涯 ==
正保4年(1647年)、伊勢亀山藩主・本多俊次の長男・本多康長の子として亀山で生まれる。父の康長は嫡子だったが、万治元年(1658年)に早世した。このため、万治2年(1659年)12月、父に代わって嫡子となった叔父(後の第3代藩主)・本多康将婿養子となる。寛文4年(1664年)12月28日、従五位下・隠岐守に叙位・任官する。延宝7年(1679年)6月18日に康将の隠居により、家督を継いで第4代藩主となる。このとき、康将の次男である忠恒に1万石を分与し、支藩として河内西代藩を立藩させた。
正徳4年(1714年)3月4日、長男の康命に家督を譲って隠居する。享保3年(1718年)11月10日、大津で死去した。享年72。
土芥寇讎記』の養子の康慶の項目に拠れば、「養父(康将)は美女を集めて酒宴・乱舞・三味線・琴を催し、淫乱に溺れ昼夜を分けず、弊をなし奢り極め」ているとされ、またその費用を領民に課した為「下の困窮を知らず」と述されている。その養父と比較し「養父よりはマシ」とされているが決して高評価はされていない。一方また同書では「三代(俊次か?-康将-康慶)並びて愚将たる事、前代未聞なり」と記述されている。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「本多康慶」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.