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本多弘之 : ミニ英和和英辞書
本多弘之[ほんだひろゆき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [これ]
 (int,n) (uk) this

本多弘之 : ウィキペディア日本語版
本多弘之[ほんだひろゆき]
本多弘之(ほんだひろゆき、 1938年昭和13年〉 - )は、真宗大谷派僧侶、真宗学を専攻する仏教学者である。元大谷大学助教授〔参考文献…『根本言としての名号』奥書〕。真宗大谷派講師〔講師…『真宗大谷派宗憲』第八十八条が定める「学階」の最高位。〕〔『真宗』平成24年4月号 真宗大谷派宗務所、P.15「学階銓衡会「講師銓衡会」を開催〜幡谷明氏、安冨信哉氏、本多弘之氏の三氏に講師を授与〜」〕。2012年現在、真宗大谷派東京教区第一組臨川山本龍寺住職。親鸞仏教センター所長。真宗大谷派董理〔。学仏道場相応学舎講師。朝日カルチャーセンター新宿教室講師。
== 略歴 ==

*1938年(昭和13年)、満州国三江省〔満州国三江省 - 1934年(昭和9年)に満州国黒龍江省、および満州国吉林省より分割され設置された省。〕樺川県弥栄村〔弥栄村 - 「いやさかむら」と読む。1933年(昭和8年)、満州国黒龍江省三江省)樺川県永豊鎮に開拓団が入植し、地名を「弥栄村」とする。同年、東本願寺の高橋麗真が着任し、弥栄本願寺を開設する。1934年(昭和9年)、高橋麗真から本多監純に交代する。()〕(現、中華人民共和国黒龍江省佳木斯市樺南県孟家崗鎮)に生れる。
*1961年(昭和36年)、東京大学農学部林産学科を卒業する。
*1966年(昭和41年)、大谷大学大学院を修了、大谷大学助手に就任する。
*1976年(昭和51年)、大谷大学助教授に就任する。
:
*1982年(昭和57年) - 師と仰ぐ安田理深が死去する(満81歳)。
*1983年(昭和58年)、大谷大学助教授を辞任する。『安田理深選集』(全22巻、文栄堂)の編集責任に当たる。選集の編集会議に毎月出席することを機に、安田理深の妻である安田梅より「学仏道場相応学舎」の継続を請われる。相応学舎に掛けられた願いを受け継ぐことを念頭に講ずる。それが「学仏道場相応学舎」として継続することとなり、本多も出講している(2012年現在、開講中)。
*1984年(昭和59年)、「教区会館〔教区会館 - かつて東京都台東区西浅草にあった真宗大谷派東京教区の会館。〕」を会場に開催された「親鸞講座」の講師に就任する。現在、東京都文京区本郷にある東京大学仏教青年会ホールを会場に「本郷親鸞講座」として開催されている。
*1986年(昭和61年)、東京都台東区今戸にある「臨川山本龍寺」の住職に就任する。
*2001年(平成13年)、東京都文京区にある真宗大谷派の研究交流施設「親鸞仏教センター」の所長に就任する。
*2001年11月27日、東京国際フォーラムにて親鸞仏教センター主催公開講座「親鸞思想の解明」の講師を務める。(2015年10月現在、年9回開催中。〔HOME 親鸞仏教センター > 親鸞仏教センター概要 〕)
*2012年(平成24年)2月1日、董理院の董理に任命される〔。
*2012年2月3日、学階銓衡会「講師銓衡会」が開催され、幡谷 明(大谷大学名誉教授)、安冨信哉(大谷大学特別任用教授)とともに「講師」を授与されることが決定する〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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