翻訳と辞書
Words near each other
・ 本多弘之
・ 本多弥八郎
・ 本多弥右衛門
・ 本多彌右衞門
・ 本多当一郎
・ 本多彩子
・ 本多忠
・ 本多忠以
・ 本多忠伸
・ 本多忠俊
本多忠典
・ 本多忠利
・ 本多忠利 (岡崎藩主)
・ 本多忠刻
・ 本多忠勝
・ 本多忠升
・ 本多忠可
・ 本多忠周
・ 本多忠国
・ 本多忠堯


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

本多忠典 : ミニ英和和英辞書
本多忠典[ほんだ ただつね]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [のり]
 【名詞】 1. rule 2. law

本多忠典 : ウィキペディア日本語版
本多忠典[ほんだ ただつね]

本多 忠典(ほんだ ただつね)は、三河岡崎藩第2代藩主。忠勝系本多家宗家12代。
== 生涯 ==
宝暦14年(1764年)1月24日、石見浜田藩主・本多忠盈の次男として石見浜田で生まれる。安永6年(1777年)に岡崎藩主本多忠粛が死去したため、その養子として家督を継ぐ。しかし本多氏は、相次ぐ移封で財政難となる。そのため、幕府に豊かな土地への移封を願い出るが許されず、代わって安永7年(1778年)に1万両を10年かけて与えられることとなり、諸役も免除されることとなった。天明3年(1783年)には預かり地を与えてもらうように幕府に願い出るが、これも許されなかった。
寛政2年(1790年)8月26日、江戸で死去した。享年27。跡を養子の忠顕が継いだが、相次ぐ藩主の早世と養子問題から、死後に藩内で家督抗争が起こった。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「本多忠典」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.