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本多 忠晴(ほんだ ただはる)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本、大名。陸奥浅川藩の第2代藩主、三河伊保藩主、遠江相良藩の初代藩主。忠以系本多家2代。文武両道の名君だったと言われている。 == 生涯 == 寛永18年(1641年)、江戸で本多忠義の四男として生まれる。 寛文2年(1662年)11月25日、陸奥白河藩主である長兄・忠平から2500石を分与された。寛文4年(1664年)に三兄である陸奥浅川藩(1万石)の初代藩主・忠以の死去により、その跡を継いだ。同年12月28日、従五位下・弾正少弼に叙位・任官される。 天和元年(1681年)に三河国伊保に移封され、元禄5年(1692年)に大番頭となる。元禄15年(1702年)に奏者番と寺社奉行を兼任する。宝永2年(1705年)には7000石を加増された。宝永7年(1710年)、遠江国相良へ移封された。 正徳5年(1715年)4月12日に死去した。享年75。長男の忠直は、大和郡山藩主となったため、孫で忠直の長男・忠通が跡を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「本多忠晴」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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