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本多忠盈 : ミニ英和和英辞書
本多忠盈[ほんだ ただみつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 

本多忠盈 : ウィキペディア日本語版
本多忠盈[ほんだ ただみつ]
本多 忠盈(ほんだ ただみつ、享保17年(1732年) - 明和4年閏9月16日1767年11月7日))は、江戸時代中期の大名石見国浜田藩第2代藩主。忠勝系本多家宗家10代。
信濃国松代藩主・真田信弘の六男。本多忠敞の養子となる。松代藩の初代真田信之の妻は本多忠勝の娘であることから、忠盈自身も本多忠勝の血をひいていることとなる。正室は本多忠敞の娘。子に本多忠典(次男)。官位は従五位下、中務大輔。この家系は徳川四天王の一人である本多忠勝の直系の家。
宝暦9年(1759年)に養父の本多忠敞の死去により家督を相続した。明和4年(1767年)35歳で死ぬと、家督は養父の実子忠粛が継いだ。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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