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本多正勝 : ミニ英和和英辞書
本多正勝[ほんだ まさかつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 

本多正勝 : ウィキペディア日本語版
本多正勝[ほんだ まさかつ]
本多 正勝(ほんだ まさかつ、慶長元年(1596年) - 寛永7年5月10日1630年6月20日))は、江戸時代初期の武士。下野小山藩、下野宇都宮藩の嫡子。徳川家康の寵臣本多正純の長男。母は酒井重忠の娘。正室は戸田氏鉄の娘。子は本多正好(長男)、本多正之(次男)、娘(戸田氏豊室)、娘(野間三竹室)。官位は従五位下出羽守。
江戸幕府初期の幕閣中心人物である本多正純の嫡男として生まれる。慶長16年(1611年)、叙任。大坂の役にも参戦し、慶長20年(1615年)の天王寺・岡山の戦いでは首級を挙げた。
元和8年(1622年)に父正純が改易されると連座して出羽由利郡に配流され、寛永元年(1624年)には佐竹義宣のもとに移された。その後、赦免されることなく寛永7年(1630年)に35歳で死去した。法名は英玄、墓所は秋田県横手市の正平寺。
=== 子女 ===
2男2女あり。
* 長男:本多正好 - 本多家改易後、外祖父の戸田氏鉄に迎えられ養育される。戸田家の転封により尼崎から大垣へ居住。その後、安藤氏に招聘され客臣となり、和田角兵衛を名乗る。後に代官職となり、子孫は安藤家臣として2家に分かれた。
* 次男:本多正之 - 配流地の横手で出生し正好とは異母兄弟である。正純没後に成瀬正虎に引き取られ、尾張犬山で養育される。寛文4年(1664年)に赦免され、徳川家綱に拝謁、2,000石を賜り幕府旗本として家を再興した。正之には嫡子がなく跡を石川正信の三男・正芳が本多家の養子となり相続した。
* 長女:某 - 母や正好と共に戸田氏鉄のもとに身を寄せる。のち大垣へ移り住む。戸田氏鉄のもとに寓居していた戸田氏豊に嫁ぐ。氏豊の姉は徳川家光の側室・お万の方で、その縁から氏豊も幕府旗本に取り立てられる。
* 次女:某 - 母や正好、姉と共に大垣へ移住。のち奥医師の野間成大に嫁ぐ。野間家は幕府医官として幕末まで存続する。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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