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本多正好 : ミニ英和和英辞書
本多正好[ほんだ まさよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 

本多正好 : ウィキペディア日本語版
本多正好[ほんだ まさよし]

本多 正好(ほんだ まさよし、元和9年(1623年) - 元禄15年(1702年)は、江戸時代前期の大名本多正勝の嫡男で老中本多正純の孫。幼名は千徳丸。諱は正好。通称右京亮、弥八郎、和田角兵衛。異母弟に本多正之がいる。
== 生涯 ==
本多正勝の長男として江戸屋敷で生まれる。同年の本多家改易により、正勝も父・正純に連座し、出羽国横手に配流となった。正好は母親の実家である摂津尼崎藩戸田家に身を寄せ、寛永12年(1635年)に戸田家の領地替えに伴い美濃大垣に移住した。寛永17年(1640年)、17歳の時に母親の元を離れ、上野高崎藩に身を置いた。この頃に本多姓を改め、和田姓を名乗ったという。
明暦3年(1657年)、34歳の時に旗本安藤彦四郎に招聘され客臣となり小平村(現・児玉町)に移り住み、代官を務める。元禄15年(1702年)4月に死去した。享年80。
なお、寛文4年(1664年)、尾張犬山に住していた異母弟の正之が旗本として赦免され嫡流を称したために、幕臣身分を離れた正好については『寛政重修諸家譜』に記述があるものの、具体的な生没年などは記載されていない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「本多正好」の詳細全文を読む




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